というわけで

放浪息子 (4) (BEAM COMIX)

放浪息子 (4) (BEAM COMIX)

放浪息子の二鳥クンについての考察。


二鳥クンがなぜあんなにも女装に憧れを持つのか。彼はいわゆるひとつのオカマなのだろうか!?いや、それはちがうのだと思う。高槻さんを(女性として)好きになっているはずだし。では、なにか。

キーワードは、「環境」と「身体性」の2つ。

小学5年生(連載当初)といえば思春期の始まりに差し掛かり、異性を見る目に変化が出てきてもおかしくはない。しかし、いかんせん二鳥クンは内向的な性格の持ち主である。スカートをめくってちょっとHなスキンシップをとったり、スポーツでかっこよさを見せつけたり、デートに誘ったりなんてことはできるわけもない。一番身近な異性であるお姉ちゃんは、言葉遣いが荒く、かわいい感じではない(二鳥クン的には)。

また二鳥クンとしては、男っぽいものが苦手なので(運動が苦手、そしておそらくは小さいころお姉ちゃんとその友達に囲まれて遊んでいたのではないかと推測)、必然的に女のこの友達の中にいたほうが安心する。メンタリティーとしては、女の子に近い。

「人が成長していく時に、脳そのものよりも、脳が乗る体の構造とその周囲の環境が重要」*1(池谷祐二・著 進化しすぎた脳  より)とある。やせて、運動が苦手で、中性的な顔立ちをもった身体、そして前出したような環境があれば、女の子にちかい嗜好性をもっても不思議ではない。
そのメンタリティーと、(かわいい)異性を身近に感じていたいという思いを充足させる手段として、最も簡単な方法が「自分を女の子にしてしまえばいい」ということだ。

だから、二鳥クンは普通に女性が好きなのだけれど、その目の行きどころがまず自分の「女性性」に向かったというわけだろう(これは内向性とも関係がある)。高槻さんを好きになったのは、(自分の倒錯的趣味も含めて)一番に理解してくれているという親近感(それは二人でユキさんのところに変装して行ったという秘密の共有という部分も含めて)が、愛情にちかい形に昇華されたため、とも言える。また、高槻さんの「たよりになる」という部分が、二鳥クンの女性性にも好アピールする結果にもなったのだろう。

では、二鳥クンはこのままでゆくかというと、そうでもないだろう。
中学にもなり、ここからは二鳥クンの「男」として評価が求められるような環境があらわれてくるし、身体的にも女性的とは遠くなってゆく。
だから、今後はいやがおうにも二鳥クンは自分の「男性性」にも目を向けなくてはならなくなるだろうし、(向き・不向きにかかわらず)男社会のなかで自分の居場所を見つけ出さなければならなくなる。


おお、かなりこじつけっぽいな、これ。

*1:ちょっと本文の文意とは違うが、池谷氏の言う「脳は身体に支配される」というところを参考にした