サイエンスという名のハードPF(哲学小説)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

ツー・テン――フィールドの幅方向に二個、長さ方向に十個の最大値(ピーク)をもち、周波数一一六〇ミリヘルツの調和振動子――は、チュソクがいくつもの低エネルギー単振動の振幅をそこに追いやったので、あふれつつあった。(…中略…)フィールドの幅方向に偶数個のピークをもつ単振動は、節――ピーク間の振幅〇(ゼロ)の点――がゴールの中央に来るので、得点には不利になる。

「ボーダー・カード」

面白い。で、やはり今回もわからないところがでてきたよ。上記は「ボーダー・カード」という話にでてくる「量子サッカー」というものの描写の一部だが、これを読んでもわかるように、さっぱり分からない。だから、…この部分はがっつり読み飛ばしていただいた(笑)*1。まあ、でもそこは映画におけるBGMみたいなものだから*2、それ以降の話が楽しめれば、主題を感じ取れる。

イーガンの三人称の文は、何か読み心地がよい。乾きすぎず、湿りすぎず、ちょうどよい距離感があるように思える(その代わり「闇の中へ」のように、主語が「私」であっても他はほとんど三人称と変わらないこともあるけれど)。だから、読み手にとっては主人公の冷静で理性的な心情が感じられる。

本書を含め、イーガンの短編集を少し読んできたが、自分の中にある(ある種ステレオタイプ的な)SFとはちょっと違う感じがした。たしかにScienceはScienceなんだけれども、それは人間の根源的な部分を掘り出すための「適切な」道具にすぎないように思えるのだ。…とかいってたら、巻末の解説でまさにkiaoのぼんやりと感じていたことを明言化してくれている。

イーガンの作品はハードSFではない。何しろ哲学はバリバリの文型学問(ですよね)。イーガンの作品はバリバリのハードPF(引用者注:哲学小説)。そこのところを押さえて、さらにその「主題」を理解するための「一つの概念」を頭に入れてもらえば(すらっと「インストールすれば」と言いたいとことだが我慢)、イーガンの作品を読むのがずっと楽になる。

さらにその「主題」を理解するための「一つの概念」を頭に入れてもらえばというところは、「祈りの海」の感想でも書いたその1アイテムに集約されることにより、我々が住む世界とそちらの世界での相違が明確化され、かつ、テーマがそこから発生(もしくは帰結)される。と全く一緒だ。

あと、「血をわけた姉妹」に見れる、最初オカルトとサイエンスの供宴かと思われたら、じつは「遺伝子」という絶対的な「運命」に抗うことのできない己の非力さを書く、…といくと見せて本当は医療という強大な力を持つがゆえの(まるで神の意思のように振舞う)エゴを描く、というなにこの目まぐるしいキーチェンジにも似た翻弄は!!、について書いてみようかと思ったけれど、ちょっとずれるからやめておこう(ていうかもうすでにだいたい書いてるじゃん)。

次に読むのは長編か?イーガンの長編は難しいというから、大丈夫だろうか?

*1:一応読んではいるが、頭の中には描いていないという意味

*2:でも、BGMって大切だよな。