リンク・リング・エンジニアリング

大谷能生のフランス革命

大谷能生のフランス革命

本を読み続けていると、それぞれ別個で読んでいた著者と著者が、ある日自分の中で結ばれる瞬間というものがありますよね。私にもつい先日それが起こりました。大谷能生佐々木敦です。


大谷能生菊地成孔との共著(「東京大学アルバート・アイラー」等)→HEADS主催のBRAINZ叢書「散文世界の傲慢な散策」→「大谷能生フランス革命


佐々木敦舞城王太郎の作品を掲載した仲俣暁生仲俣暁生のインタビュー本に出ていた佐々木敦→HEADS主催のBRAINZ叢書「批評とは何か」→「大谷能生フランス革命


と言った具合です。新宿のジュンク堂に、二人のコーナーがありました。積み上げられている著作と関連作品。……読みたいです。気持としては、非常に。

大谷 そういうのが凄く強いですね。隙間で考えるっていうか、隙を考える。文章ってのは、どうしても一人だけの、抽象的な作業空間での出来事なので、そこばかりに深く関わってると危険信号が出る、みたいな感じで。
佐々木 まさにそれが批評家・大谷能生の特徴で、たぶん大谷君の魅力の一つでもあると思うんだけど、つまり、何か新しい主張というか批評的スタンスみたいなものをガッチリと押し出すことによって世に出てくる人もいるけど、でも、そういうのが嫌いな人もいるわけ。
大谷 嫌ですねー。というか、自分では苦手なんで、できない。
佐々木 うん。だからそういうのが嫌な人たちにとってのエースみたいになっている部分は、明らかにあるんだよね。でも僕は、それは諸刃の剣だと思う。結局それは、良くも悪くも批評的な強権みたいな事に対するアレルギーの受け皿になっちゃう可能性があるわけ。だから、やっぱり僕は、大谷能生自身がもっと光ってほしいと思うんだよね。つまりね、大谷君の批評的な姿勢っていうのは、言ってみればある種の奥ゆかしさみたいなものがあって、断言っていうものを、身体的な部分も含めて、回避する何かがあって、そういうことが逆に、大谷能生っていう人の一つの面白さになっていて、それが例えばさ、堀江さんの小説を好むこととかにも何となく繋がっている感じがするわけですよ。それはよくわかってるんだけど、でもやっぱり、僕としてはね、この十一組のゲストに関しても無理やりでもいいから、「これはこうなんです」っていう事を、大谷能生自身に言ってほしいわけ。後付でもいいから。
(P.286)

フェイバリットは岸野雄一の回ですかね。ばるぼらの回は、大谷能生の批評的スタンスの根底にあるものが垣間見えて興味深い。