必然とでも呼べる出会い

孤独の発明 (新潮文庫)

孤独の発明 (新潮文庫)

引き込まれるように、一気に読んだ。読み終わったあと、身震いをしてしまった。圧倒されてうまく言葉が出ない。この本に出合えて本当によかった。それはおそらく読んだ時期がkiaoにとっても絶妙だったがためかもしれない。いつかまた再読することが確信できる。

少し落ち着いたら、きちんと感想を書きたいのだが。今は冷静さを欠いている状態だというのがわかる。書きたいのに、今はうまく頭が働かない状態なのが、うれしくもあり、くやしくもある。どうしようか。

いかなる言葉もまず見られることなしには書かれえない。ページにたどり着く前に、それはまず身体の一部になっていなければならない。

kiaoは「孤独の発明」という小説を見た。だが頭の中で処理が仕切れなくて、まだ体の一部になりきれていない。
やっぱりもう一回読まないとダメかもしれない。難解ゆえ理解不能ということではなく、自分の中に入ってきたものをどううまく出していいのかわからなくなっているゆえに。

とりあえず、印象に残った文の中から一つだけ抜粋。

私は思い知った。死んだ人間の遺していった品々と対面するほど恐ろしいことはない、と。事物はそれ自体の生命をもたない。それらが意味をもつのは、それを利用する人間の人生を指し示すものとしてでしかない。人生が終わるとき、事物は変わる。それ自体としては同じであっても。それらはそこにあり、と同時にそこにない。それらは手で触れられる幽霊だ。もはや自分が属していない世界の中で生きつづける責め苦を負った幽霊だ。

身近な人を亡くしたことのある人間なら、皆味わったことのある畏れである。