目的の是非は手段の是非を凌駕する。

人間を残虐行為へ至らしめることができるのは「憎悪」と「無知」である。「好意」の対義語は「嫌悪」ではない、「無知」だ。虫を殺す時に罪悪感に刈られはしない。人は虫と理解しあうことはないからだ。そして人が人を虫けらのように殺すことができるのは、目の前の人間を人間として認識しようとしないからだ。ひとたび人間として理解してしまうと、無感情に殺すことはできなくなる。そして誰かが言っていたこと。
「無知であることは、罪である」
赤いコートを着た少女の意味。数ある人間の死体、それを屍という物体の認識から生あるものの死という理解、その認識に変えた。

シンドラーは決して天使などではなかったという証言があるが*1(裏で闇取引もずいぶんやっていたし)それはそうだろう。力がなくては人は救えない。そしてこの世の中は、純粋な心を持っているだけの人間が力を得られるほど甘くはない。

まるで、「銀と金」のセリフだ。
「もし誰かをひいきしたいのなら、悪になれ。誰もが逆らえないほどの巨大な悪になれ」

そしてスピルバーグだからできたこの映画と財団活動。別に拝金主義ではないが、力があるからこそできることもある。

この出来事を映画にする意味。虐殺したのもされたのも、ともに人間だということをまざまざと見せ付けられる。決して遠い昔の出来事ではない。しかし過去の出来事というのは風化されやすく、二度と同じ間違いを犯さぬよう人の心に刻み込まなければならない。

人一人の意思は脆い。時代の流れにいとも簡単に流されてしまうほどに。自分の意思を持ち続けるのに必要なものは勇気?理解?それとも……。

*1:でも、偉業を成し遂げたということが前提の証言