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よつばと! (5) (電撃コミックス (C102-5))

よつばと! (5) (電撃コミックス (C102-5))

「あした はれにしてください」
「なんの宗教だよ」

あいかわらずおもしろい。ついに登場した”ヤンダ”こと父ちゃんの後輩安田。よつばの周りの人物はよつばの
行動、発言を汲み取ってあげて、よつばに合わせてあげるコミュニケーションをとっていたのだが、このヤンダは違う。わざわざよつばと同じ目線に降りていって、同じレヴェルでコミュニケーションを図る貴重なキャラだ(人はそれを大人気ないという)。
よつばとのおもしろさは「全てが経験の更新」と「偶誘性という不確定要素」に集約されると思われる。大人にとっては当たり前のことでも、よつばにとっては殆どが未経験。だから日常の些細なことでも興味の対象となるし、それら一つ一つを真綿のように経験として吸収してゆく姿を見ると、人は愛らしく思えるのだろう。
また、よつばは子供であり、人間になりきれていないということもできる*1。コミュニケーションはとれるけれど、ときどき突拍子もない反応を示す。

父ちゃん(以下父)「今日はおつかいもなしだな」
よつば(以下よ)「えーー!?なんでだ!?なんでおつかいいかない!?」
父「雨だから」
「わけわかんないことゆーな!!」
父「え!?わかんない!?」*2

例えば「占い」は古今東西を問わず人気がある。それは人生というのが「自分の行動の結果に対してある程度予想は出来るが、多分にして運という要素が大きく関わってくる」からであり、それを「偶誘性」とよぶ。その不確定要素があるからこそ人は生きることに不安をもったり期待をしたりして、その突拍子もなさを楽しんだりする。占いはその「不確定要素」を覗き見したいという欲の表れそのものだ。(反対に、人は「サイコロの出る目」を占ってもらったりしない。それは「サイコロの出る目」が「偶誘性」などではなく、完全なる「運」だからである)
そして読者は「よつばと」をとおして「よつば」という「不確定要素」を楽しむことが出来る。これは大人にとって(とまで言わなくても、えなぐらいの理性をもつ年齢にとっても)のはなしであり、よつばと同年齢のキャラが(いまのところ)出てこないのは、それくらいの年齢にとっては彼女の行動が「不確定要素」ではないからである(むしろ、「不確定要素」を判断するための「確定要素」を習得しきれていない)。
よつばと」によつばと同年齢のキャラがでてきてもよつばの特別性を失わせないための方法は2つ。一つは登場人数を1人か2人の少人数に絞る。もう一つは「クレヨンしんちゃん」のしんちゃん以外のキャラのように、年齢のわりには統制された思考法をもつ大人の視線からキャラ化された子供を出すか*3、だ。
作品の内容を見る限り、後者の可能性は低いと思われるが。

*1:妖怪人間じゃあるまいし…

*2:ここ、爆笑しました

*3:そうすることによって、大人(読者)の予想範疇の行動をもつ「子供」と、その範疇に入らない(予想のつかない)偶誘性という不確定要素を持つ「しんちゃん」、という対比構造ができる