軟弱もゴリゴリも両方OK。「こうもりの村上」

自暴自伝 (文春文庫PLUS)

自暴自伝 (文春文庫PLUS)

名実ともにおそらく日本で一番有名なドラマでないかと思われる「村上"ポンタ"秀一」の半生を綴った語りおろし本。70年代からポピュラー音楽界を支えてきたこともあり、本書に出てくるミュージシャンも井上陽水泉谷しげる、忌野清志朗、沢田研二矢沢永吉山下達郎、YMO、松任谷由美矢野顕子、など層々たる顔ぶれ。
本書で語られる内容は、大別すれば「30年以上、この音楽界をどのようにして駆け抜けていったのか」と「ドラマとして、ミュージシャンとしての村上の意識」と言うことになるのだろう。
前者を要約すると「目上の人にはキチンと筋は通すし、礼儀も忘れない。ただ、音楽の上で言ったら年齢なぞ関係なく、技術とセンスだけが問題」ということ。

俺はいわゆる"ニッポンのジャズ"が嫌いなんだよ。(中略)「ジャズだから聴く」という態度の「だから」の部分。音楽をまずジャンル分けしないと安心して聴けないし、やれないという、そこの部分が嫌だった。

そして今につながるPONTA BOXの結成に至る経緯もこう述べる。

それこそジャズのジャの字も知らない若いやつらにが始めて聴きにきた時、「お、かっこいい」と言うような、そういうバンドをイメージしていた

後者については、村上がもともと学生時代にクラシックの管楽器奏者であったことが大きく影響している。

そもそもリズムを作り出すためにドラムを叩くという考えがなかった。打楽器として曲に色を添えている、そういう感覚は当時から今に至るまで変わっていない。(中略)やっぱりドラムは音楽における香辛料ということになる。

練習じゃなくて、「研究」はたくさんしたよ。(中略)もっと重要視していたのは呼吸法で、そこに目をつけたのは管楽器をやっていた影響があると思う。ほとんどの打楽器奏者って、呼吸法についてあまりに考えてないと思ったもん。でも、呼吸法を体得していないとビートが続かない。そもそも呼吸を通じてオフビートを腹におぼえさせたら、そこに体内メトロノームができるわけだからね。

村上の場合、全ては「歌」につながる。自分で「歌」えないフレーズは叩かないと言う。

とか言いながら、自分の「歌」に納得がいかなかったこともあるよ。(中略)そうやって必死の思いで何回も繰り返しているうちに、ある日ふと気がつくと、イメージしていた通りの音が出せている自分がいるんだ。何度も言うようだけど、それは練習じゃないんだよ。(中略)だから練習してきてプロになった人と探求した人では、根本的な違いがある。そんな気がするな。

そんな村上のミュージシャン人生において一番影響を与えたのは「大村憲司」との出会い。70年代の人気グループ「赤い鳥」のオーディションを受けた理由も当時一番注目していた「大村憲司」というギタリストにとにかく会いたかった、とのこと。

でも前にも話したとおり、俺、大村憲司のギターはクラプトンよりはるかにうまいと思ってたし、いまだにそう思っている。クラプトンが演奏しているのをロサンゼルスで初めて見たときにも、「この白いやつけっこう弾くやんけ。お前のコピーしてるけどな」って憲司に言ったくらいだからね。影響関係で言えば、実はまるっきり逆なんだけど。(中略)今でもクラプトンに会うと、その時の話が出るよ。「いいギタリストいなれるって励ましてくれたね」って。

そして、村上の持つ「音楽」というものへの考え方については、以下のように綴られている。

俺、音楽というものは、感じ方のそれぞれ違う聴き手が共有する空間のようなものだと思っているんだよ。音に対する気持ちは一人一人異なるわけだから、おのおのが勝手に感じてくれて、あとは音楽が空中に消えてバイバイ……というのが基本形なんだ。

一人の男の音楽人生としても、一流ミュージシャンがどんなことを考えながら音楽に関わっているのかという点からも、本書はなかなか興味深いものになっていると思われる。