そんなとき、ぼくはMr.悲しみになります。

シティ・オヴ・グラス (角川文庫)

シティ・オヴ・グラス (角川文庫)

好きな作家の作品を読んでしまうのは、楽しい反面、読んでいない本が一つ減ってしまう残念さがある。これもその1冊。
この作品の中で、あるキャラの一人語りがずっと続くシーンがある。その話の狂気を孕んだ内容から、おお、オースターすごいなと感嘆できる。その一方、こうしていくつかの語りを読むと、一人でずっと話し続けるという行為自体、狂気を孕んでいるのだなと感じる。最初は目の前にいる人に話していたのに、いつのまにか一人でにその口が暴走を始める。その時、彼らはいったい何に向かってその言葉を吐き出しているのか、と思ってしまう。

社会からちょっと外れた存在として、作家という肩書きはとても便利だ。時間の拘束も緩いし、何かに首をつっこんでもこれも作品作りの一環だといえるのだから。ピーター・スティルマンが初めて主人公のクィンと対面した時の喋りは、kiaoの脳内ではなぜかラップ調になっていた。単語が持つ意味よりも、単語が持つリズムで話をする奇妙な語り口のほうが、得体の知れない感がでていいだろうなと思ったのかもしれない。

犯罪は、犯人と被害者、それだけで完結している究極の二人芝居だ。彼ら(引用者・注 探偵のこと)はその隙間に途中からのこのこ上って行き、筋書きを勝手に変えてしまう道化だ。その愚かな役を、好き好んでわざわざ買って出る悪趣味な族(やから)こそが探偵なのだ。
京極夏彦「魍魎の匣」より

作家のクィンは、ある間違い電話がきっかけで、このピーター・スティルマン事件(正確には、事件になる前に未然に防ぐ役)に関わろうとする。もし、途中からのこのこやってきても、筋書きを勝手に変えてしまうことができなかった道化がいたら…、その答えのひとつがこの本の中にはある。*1

*1:ネタバレやしれないから、白抜き字にしています