「ツミXバツ」って書くと、なんかラノベみたいだ。
- 作者: ドストエフスキー,工藤精一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1987/06/09
- メディア: 文庫
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(…前略…)――彼はひとつの問題に興味をもっていた。どうしてほとんどすべての犯罪があんなにたやすくさぐり出されてしまうのか?(…中略…)彼の見解によれば、最大の原因は(…中略…)むしろ犯罪者自身にあるというのである。犯罪者自身が、これはほとんどの犯罪者にいえることだが、犯行の瞬間には意思と理性がまひしたような状態になって、それどころか、かえって子供のような異常な無思慮におちいるからだ。しかもそれが理性と細心の注意がもっとも必要な瞬間なのである。(…以下略…)
主人公のラスコーリニコフは、高等遊民というにはちょいと金銭的な余裕はなく、頭も悪いわけではない(むしろ、まわりの人間は彼を頭のよい人間だと囃したてるけれど)、いわゆる引篭もり。「予告された殺人の記録」のように、普段だったらおそらく彼は人を殺めるようなことなどしそうにはなかったのだが、いろいろな奇妙な偶然が重なり合い、まさにそのとき以外に、金貸しの老婆を殺す瞬間などないという奇跡のような機会にめぐり合ってしまった。
殺す目的は、金銭の強奪ではない。ただ、殺しをするのなら、その老婆が一番世間の人間に悲しみをあたえることがないと思われたためだ。
で、ラスコーリニコフの友人であるラズミーヒンが、実にいいやつなのだ。熱にうかされて、錯乱状態のへんなラスコーリニコフは、「おれの友と呼べるのは、学友だったラズミーヒンしかいない」とか言って彼の家を訪ねたのに、そこで急に「やっぱいいや、さよなら」と帰っていってしまう。そこでラズミーヒンは、「いや、やっぱり今のキミはおかしい」と彼に付き添ってあげて、その後また引篭もり状態になったラスコーリニコフにいろいろ世話をやいてあげるのだから。そして、そんな世話焼きのラズミーヒンをうぜぇとか思っているラスコーリニコフ、…ひでぇなぁ(笑)*1。
で、この本が非常に読みやすいのは、会話や自省文がかなり多くの部分を占めるからだろう*2。文中にあるように、ラズミーヒンなんて特に長廻しの台詞が大好きなもんで。読みやすい上、それでいてどこか妙な毒気をうかがわせるのも、また興味深い。妹のドゥーニャがいきなり兄のラスコーリニコフの意見を切り返すシーンはお気に入り。
どうして兄さんは、おそらく自分にもないような勇気を、わたしに要求するの?それは横暴だわ、暴力だわ!
読者を飽きさせないような、話の引っ張りかたがうまい。とくに上巻最期の引きは、直球そのもので、これにはガツンとやられた。
下巻も楽しみ(というか、もうすでに読んでいる)。
ちなみに、このブログ名の由来は、本書からきたものではないので、念のため(誰に言い訳しているのだろう…)。