紙の上の魔術、記述、虚実

九十九十九 (講談社文庫)

九十九十九 (講談社文庫)

ザバン!と音をたててフローリングの上に原稿が広がる。「こういう訳判んない小説と、私が住んで暮らしてる現実を、ちゃんとはっきり区分けして欲しいの!何がホントで何が嘘なのか判んないとか、そういうのをやめてほしいの!」それから新聞もつかんで床に叩きつける。「これも!嘘のはずなのに現実に起こってたりしてウザいの!こういうの、ホントどっかやって欲しいの!私らの生活ん中、入ってきて欲しくないの!」

エロ・グロ・ナンセンス。地獄の3拍子が揃ってて、ある意味キツかった(笑)。これが舞城作品とわかっていなかったら、途中で投げ出していたかも。まあ、そーいうことをねらってやっているのはわかるけれど。
清涼院流水風(って、ほとんど読んだことないが)見立て・後付け・語呂合わせは、もうほんと、ムッキぃー!!いいかげんにしろよ、マジで、コラ!って感じ。まあ、それもねらいなわけなんだが。だって主人公の九十九十九が述べてるように、ここでいいたいことの1つが「見立てなんて、くだらねぇーよ」だもん。
第一話で語られていた内容が、第二話で一部分が嘘だと否定され、第三話では第二話の一部分が否定され、という奇妙なマトリョーシカのような構造(ちがうか)。それは「匣の中の失楽」へのオマージュかなんからしいが、元ネタは読んだことがないので分かりません。
だが、後の話で嘘だと語られる部分も、その前の段階では、記述のレベルにおいて等価である(ようするに、嘘と言うまでは「嘘」も「本当」も同じである)というのは、やはり舞城作品だな、と思った。舞城王太郎の作品に一貫するテーマは「等価」であると、kiaoは思っている(詳しくは、「好き好き大好き。超愛してる」の感想に)。
あと、やたら現代作家を引き合いに出す(っても名前と作品名をアイテム的に出すだけなんだけど)のは、なんていうか、もっと戦いたいんだな、と。や、交わりたいんだ。で、ごっちゃごちゃになって刺激し合いたいんだ、と思う。せっかく同時代に生きているんだから、みんな平行線で孤独に走り続けるんじゃなくて、昔の文壇みたいに(ってよー知らんけど)切磋琢磨、凌ぎを削ってもいいんじゃん!?みたいなのを感じた……のは考えすぎ?

そう。俺はもっと競い合いたい。小説を書くことは、あるいは全ての創作は、人と競争することとは無縁であるべきことかもしれないけど、俺もそう思うけど、でも俺の小説が何の競り合いもなくただ発表されていくのは嫌だ。(…中略…)だから小説が書き終わった時、俺ん中で俺自身との競争は終わってる。そうやって俺が書いた俺の小説が、あっさりボツになるかもしれない状況が欲しいのだ。
愛媛川十三「いーから密室本とかJDCとか書いてみろって。」

舞城、残してあるのがあと2冊になったなぁ。