どうにもならない日々もあって
- 作者: TAGRO
- 出版社/メーカー: スタジオDNA
- 発売日: 2002/04
- メディア: コミック
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「あの人ってさあ、とことん沈んだときは、「もう殺せ」くらい言ってた気もすんだけど。全然、ホンキにしてなかったワ。」
「……死ぬ気だったのかなァ。」
(…中略…)
「マがさしたっつーかさ……半分 事故みたいな気がする。」
「なんでそんな人とつきあってるの?」
「知んね」
「そんなに好きなの?」
「どうだろ」
「やめなよ そんな人…」
「すぐ泣くんだもん
すぐ 死ぬとかゆうし」
「死ぬ死ぬ言う人は 死なないと思う
絶対」
「そうね」
心の弱さっていうのは、克服できるようでなかなか克服できないものだったりする。それが生来のものなのか境遇によるものなのかは、個々のケースによるけれど。
でも、心の弱さってまるで本人が悪いみたいに言われやすい。大変だとは思う。が、「悪い」わけではないのは当然なのこと。体が弱くて時折入退院を繰り返すような人を見て、大変だろうな、とは思うけれど、本人が「悪い」わけではないのと同じ。
周りの環境によって、心の制御がうまくいかなくなってしまったということはあるだろう。でも、その環境にうまくなじめる人もいれば、そうでない人もいて。また、身体と精神というのも不可分な関係でもあったり、自分というものの扱われ方によって精神の形成がかわってくることも大いにありうることだし。なにが言いたいかといえば、一言で解決できる問題じゃねーな、ということ。至極当たり前のことなんだけれど、たまーーにこの当たり前のことを分かっていない人がいるしね。
誓って言うが、意識しすぎること――これは病気だ。本物の完全な病気だ。人間の日常にとって、普通の人間が持つ意識だけでも充分過ぎるぐらいなのだ。
過剰に傷つく自分に嫌気がさして、こんなことならいっそこの自意識を麻痺させてくれー!!なんて思うことはあるだろう。このどうにもならない問題が解決する日は来るのか、と。
でも、学校のテストと違って、生きていく上での問題は必ずしも解決されるとはかぎらない。
「けど やめられないのか?薬」
「うん…
やめるやめらいやらなくて…
ご飯と一緒
生きてくのにあたりまえ」
「メシ抜くこともあるが?
薬は抜けないんだろ?」
「抜くときもあるよ
忙しいときとか 手元にない時とか」
「平気なのか?」
「平気よ
この世に薬が存在して手に入るとわかっていれば
明日はちゃんと飲めるってわかっていればね」
ここでの「薬」は「死」のメタファーだ。
解決されることのない問題。解決されることのない気持ち悪さに自分を納得させるのは、どうせ人はいつか死ぬのだから、という諦観にも似た思い。死がすべてを解決してくれることをわかっているのだから、そこまでずっと先送りすればいいじゃないか、と。だから「平気」なのだ。