現実とユーモアの狭間に存在する世界

すぐそこの遠い場所 (ちくま文庫)

すぐそこの遠い場所 (ちくま文庫)

 ここに一例として、新鋭の物理学者が「過客と世界」の関係について論じた大胆な仮説を引用してみよう。
「(…中略…)
 しかるに、われわれが、夜となく昼となく夢を見るように、彼らもまた夢想をし、空想を楽しみ、どこか遠くへと想いを寄せたりしているのであります。
(p.28)

 ところどころ拾い読みするように、再読。この本は、やはり素晴らしいと思う。
 一言で言えば、「虚構記事としての楽しみ*1」。レイアウトとか、写真とか、イラストとか、全てをひっくるめて一つの作品となっている。所謂コンセプチュアルな本であるわけで。
 本というものの価値は、それが真実であるかどうかに、必ずしも依存しない(勿論、ジャーナリズム等は真実を伝えてもらわなくちゃ困るけれど)。虚構記事は、対象が存在しないというだけであって、その手法は実際のものを対象としたものと同様の体裁を取る。だからその価値は、対象ではなく、手法(表現・記述)ということになる。
 実は、最初この本は訳書だと思っていた。一項目が1〜数ページなので、気が向いたときにちょっと読むということができるのも、よい。それとともに、この形式は、いくら読んでも、いつまでもたどり着くことができない「AZOTH」という世界観を想像させるのに適しているのだと思う。
 なんなんですかね。人というのは、手に入りそうで入らない、ちょっとした夢みたいなものに憧れるようにできているのでしょうか……? 
 現実とユーモアの狭間に存在する世界、それが「AZOTH」。

*1:かの『アイアンマウンテン報告』も、いつか読みたいと思っているのだが……。