ぼくたちの、いばしょ。→ない→放浪する息子
- 作者: 志村貴子
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2009/07/25
- メディア: コミック
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唯一の人権。――因習的なものから外れる者は異常なものの犠牲的行為である、因習的なものの中にとどまる者は、因習的なものの奴隷である。破滅はいずれにしてもまぬがれぬ。
(P.444)
フリードリッヒ・ニーチェ 『人間的、あまりに人間的1』
いつか迎えなければならない問題に、ついにぶつかったのでした。二鳥くんは、周囲(せかい)に自分を女の子として扱ってほしいと懇願した。だけど周囲はそれを拒否した。今までまわりとの齟齬が発生しても、うまく折り合いをつけれらていたのは、彼を認めてくれる人々という、友達に恵まれていたという部分がありました。しかし、その外側に存在するせかいは、彼の主張(生き方)に躊躇なくNOを突きつけたのです。
今巻で割と目立ったのは、性(ジェンダーだけでなく、癖や交の部分も)を巡る発言。二宮文弥くんの<あのう 男とわかっててもやれるもんなんですか> や、麻衣子ちゃんの<エッチしたいなーとか そういうきもちになるの?> とか。広い意味では、少年時代のユキさんの<椎名くんを思うと 女になりたくなる> など。
一般的というか、素直に考えると性的アイデンティティは≒で性の指向性と結びつくもの。と単純になりがちですが、二鳥くんはちょっと一筋縄にそうはいかない部分があります。
例えば彼の友達のマコちゃんは、女の子の格好がしたいし、男の先生のことを好きになるし、解りやすい面があります(しかし、彼は周囲に自分を女の子とみてほしいとは、それほど思ってはいないようですが)。しかし、二鳥くんは、自分を女の子としてみてほしい、だけど好きになる人は女の子です。
男の子として女の子の高槻さんがすきなの?
女の子になって 女の子として高槻さんに愛されたいの?
(P.10)
あのさあ 女になりたいの?
女のかっこしたいだけなの?
どっち?
(P.139)
二鳥くんは言います。
ずっと こういうふうに したかったんです
(…中略…)
…女の子になりたいからです
(P.34)
「女の子」。その記号に内包される意味はそう単純ではなさそうです。男の子を好きになるのも、かわいい格好をするのも、女の子の一要素であり、それらが全て満たされなければ「女の子」ではない、というわけではありません。*1
二鳥くんは、その「女の子」のものである(とされている)、かわいい格好をしたいという権利を欲しがっています。そして、そんなかわいい女の子が受ける視線をもまた、彼は(自然の所作として)欲しがっているのです。
ま、二鳥くんもまた違う意味で「敷居の住人」ですね。あ、あと今回の人物紹介の役が千葉さんでしたので、千葉さんファンのkiaoはいろんな意味でハラハラしました(笑) 佐々さんは、作者だけでなく、全読者の心のオアシスというか。
ユキさんは当初から、二鳥くんの未来のロールモデルという役目も担っていましたが、その立ち位置からメンター的な重要な役目を担うようになりました。今巻ではそれがはっきりと打ち出されましたね。
<ほう それはなぜ?> っていうのが、すごく兼田先生っぽい台詞で、なんか、いいですね。うん。
*1:いや、別に男の子が男の子を好きになっても、かわいいかっこうをしてもいいんですけど。話が逸れるから。