死ぬほどいい女 -A HELL OF A WOMAN-
- 作者: ジムトンプスン,Jim Thompson,三川基好
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2002/03/01
- メディア: 単行本
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「それで?」おれは言った。「それがどうした?」
「フランク! 何言ってんだ! きみが頭が切れることについては、わたしはいつも信頼を置いてきたのに――まあ、もちろん、よからぬ方面にという意味だが……今の話、どこか変だとは思わないのか?」
「うん、じゃあ、話をしよう」おれは言った。
(P.162)
テレビをつけていたら、松本人志が例の黄色いパジャマともっさりした髪型でCMをしていました。メディアでは、露出する頻度が(内容は問わず、ただ)多ければ多いというだけで、人々は親近感をだきやすくなる、というのをどこかで言っていたのを思い出したり(メディアスタディーズに関する文章だったような)。広告業界ではこういうのを爆撃機に例えているんでしたっけ? それも古い情報か……。*1
そんなことはさておき、『死ぬほどいい女』です。
『残酷な夜』に収録されている滝本誠の解説によると、トンプスンのほとんどの作品に関わった名編集者アルバート・ハーノは、トンプスン作品の中で傑作を挙げるとした場合、以下のように位置づけていたそうです。
・第3位『おれの中の殺し屋』
・第2位『死ぬほどいい女』
・第1位『残酷な夜』
上記3作品に限定した場合、kiaoの読んだ順番は、『おれの中の殺し屋』→『残酷な夜』→『死ぬほどいい女』というものでした。個人的には、『残酷な夜』を読んだ後に『死ぬほどいい女』という流れで読めて、とても運がよかったと思っています。
と言っても、この2作品に物語的な繋がりはありません。
wikipediaによると、『残酷な夜』は1953年に、『死ぬほどいい女』は1945年に発表されていますが、その間に『The Criminal』『The Golden Gizmo』『Roughneck』『A Swell-Looking Babe(深夜のベルボーイ)』と4作品も出しているようで、まさに書き殴るといった感で作品を刊行しています(そして1945年にはもう1つ、『The Nothing Man(失われた男)』も発表しています)。
この様に短期間で次々と作品を産出していった結果なのか、『残酷な夜』も『死ぬほどいい女』も物語の大枠は非常に似ています*2。しかしこの「似ている」ということが、却って「ではこの2作品における差異はどこなのか?」という比較を楽しめる結果となりました。
基本的に両作品は、破滅の物語です。しかし、破滅へ至るプロセスが微妙に異なります。
例えるなら、『残酷な夜』が静かにおかしくなり、『死ぬほどいい女』は臨界点を超えた瞬間に気狂いする、といった感じでしょうか。
その破滅へ至るプロセスは、結果的に「物語」というものを粉微塵に為留めてしまいます。それはまるで、量産するために書き殴った自分のモノに対し、後ろ足で砂をかけるかのように。いや、それどころか、遠心力をつけた蹴り足で延髄を破壊するかのごとく。解説の霜月蒼の言葉を借りるなら、まさにそこで「断絶」が起こっているのです。
なぜkiaoが『死ぬほどいい女』を後に読んで良かったか、という理由について。それは本書において、「破壊」がより衝撃的に(派手に、または分かりやすく)起こっているからです。精神と行動の乖離とでも言うべきなのでしょうか。
あと、「おお、何か舞城っぽい」とも思ったり*3。
おれは教会にさまよいこんだ淫売みたいに冷や汗をかいていた。うまくいかないだろう。うまくいくはずがない。新聞によく出ているばかみたいな事件と同じになる。ひと儲けしようともくろんだやつが、やることなすことうまくいかないで、つぎつぎにへまをやって、しまいにはどたばた芝居みたいになってしまう話。おれはそんな記事を読んで、大笑いし、首をふって、なんて間抜けだと思ったものだった。最初からわかってるはずじゃないか。結果は見えてるじゃないか。少しでも頭を使って考えたら、そんなことは――
(P.P.125-126)