エレクトリック・ギター

僕らが作ったギターの名器 (文春新書)

僕らが作ったギターの名器 (文春新書)

 1950年代がエレクトリックギターの黎明期だとすれば、60年代はバンドブームによる普及期だった。そして70年代を境に、エレクトリックギターは、はっきりと変わった。楽器そのモノよりも、ギターの選ばれ方が大きく変わったのだ。
 転機は69年、アメリカ、ニューヨークの郊外で開かれた「ウッドストック・ミュージック・フェスティバル」だった。ウッドストック以降、ギターの仕様やサウンドよりも、どのギタリストが弾いているか、その一点で、多くの人がギターを選ぶようになった。見方を変えれば、70年代にエレクトリックギターは時代のカルチャー、ファッションの一部になったと言えるだろう。
(P.128)
椎野秀聰『僕らが作ったギターの名器』

 kiaoがでリアルタイムで体験してきた90年代は正に「ヴィジュアル系」の全盛期だったわけで、それを代表するギター・メイカーと言えば『ESP(Electric Sound Products)』でした。そして、この椎野氏こそが、その『ESP』の創業者にあたります。
 
 ユーザーとの直接的な繋がりを持ち、ギターのカスタマイズに対応する「オーダーメイド・エレクトリック・ギター・メイカー」として始まったそれと、90年代を通して「ヴィジュアル系」ミュージシャン・モデルを次々と世に送り出していった『ESP』が、なかなかkiaoの頭の中で繋がらないと思っていたら、創業数年で椎野氏はスタッフとの理念の違いから袂を分かっていたとのことだったのです。*1
 
 この90年代のESPビジネス・モデルは、正にエレクトリック・ギターが仕様やサウンドより、あるミュージシャンを象徴するアイテムと見なした、楽器におけるアイドル商法の最たるものでした。ただ、このようなビジネス・ブームに至るにはそれなりの過程があり、その始まりこそが冒頭の引用文にもある、人気ギタリストの使用しているギターのイコン化でした。
 
 話は変わりますが、『モズライト』と呼ばれるエレクトリックギターがあります。
 
 1950年代に元リッケン・バッカー社員のセミー・モズレーがギター・メイカーを起こしました。ある日、彼のギター工場に友人のミュージシャン ジーン・モールが知人を連れ来ます。帰り際にその知人がセミーのオリジナルデザインギターに興味を持ち、次の仕事用にとそれを借りていくことにしました。
 彼が持って行ったセミーのギターは抜群の評判となり、そのギターへの質問と入手へのリクエストが殺到。彼のバンドのモデルギターとして、セミーのギターはバンド自身による独占配給が始まり、それは爆発的なヒットを生みます。
 
 彼の名はノーキー・エドワーズ。そして、彼がリードギターを担当していたバンドの名は『ザ・ベンチャーズ』でした。
 
 今や『モズライト』と言えば『ベンチャーズ』であり、ジョニー・ラモーンも使用していたという注釈はありますが*2ベンチャーズ世代以外の共通認識として「けっこう年を取ったおじさん達の青春時代を象徴するギター」という感じだと思います。事実kiaoもそうでした。
 
 ここに一冊の本があります。その名も『モズライトの真実』というなにか訴えかけるような題名なのですが、何を訴えかけているかと言いますと、「いかに『モズライト』が日本において粗悪なコピー商品による不当な扱いを受けていたか」ということです。
 

 古くからギターを手にしている人は体験で知っていると思うが、ギターのブランドでも、時代ごとに音は確実に変わっている。特に、70年代を境にして変わってしまったブランドが多い。理由は多々あるだろうが、要はギター製造がうまみのある商売になった、それがいちばんの要因だと思う。
(P.P.50-51)
椎野秀聰『僕らが作ったギターの名器』

 
 60年代のギターブームの興隆・衰退の中、『モズライト』の日本での商標を持つ貿易会社や楽器製造会社の倒産、そのごたごたの中でモズライト(型)ギター販売をなし崩し的に我がモノとする製造・販売会社。その権利関係をはっきりしないまま、それがつい今日まで続いていたということを知り驚いてしまいました。
 
 なぜ権利関係をはっきりしないのか、というよりも「我こそが『モズライト』の正当な権利を持つ」という争いなのですが、それが起きた根本には「『モズライト』といううまみのある商売種はオレのものだ」という、そろばん上の諍いこのにこのギターが巻き込まれてしまったという悲しい事実が、そこにはあったのです。
 
 なぜそんな諍いにモズライトギターが巻き込まれてしまったのか。その複雑な権利関係も含め、そこに起こっている事実を知るためにも『モズライトの真実』はギターファン・音楽愛好家にとって必読です。wikipediaの『モズライト』の項を見ただけでは、全く不十分であることが分かります。*3
 

 楽器製作においてコピーモデルを作ることを、私は決して恥ずかしいことだとは考えない。本性でも繰り返し述べているように、楽器とは先人の作った構造や技術を真似ることから始まると言ってっても過言ではないからだ。
 だが同時に、「コピーするには条件がある」とも考えている。その条件とは、オリジナルモデルへの深い敬意と理解だ。
(P.137)
椎野秀聰『僕らが作ったギターの名器』

*4
 

モズライトの真実

モズライトの真実

 
 

*1:ESPの経営は全てが順調に思えたが、その矢先に企業規模の拡大を目指すスタッフと意見の相違が起こった。商売を大きくするよりも、目指すギター製作への重いが勝った私は、自分が立ち上げた会社ではあったが身を退き、数年でESPを去った。(P.P.151-152) 椎野秀聰『僕らが作ったギターの名器』

*2:kiaoにとっては『ラモーンズ』自体もおじさんの熱狂したパンクバンドという感じではあるのですが

*3:wikipedia(2010/11/22現在)には<未亡人であるロレッタと対立しているフィルモア側にセミー・モズレーの娘であるディナ・モズレーが参加している。>とありますが、本書ではさらに詳細があり、それによるとディナ・モズレー(本文中ではダナ・モズレー)はセミーの最初の妻との間にできた娘であり、セミーの遺言状には「自分の死亡時には全財産を彼の最後の妻であるロレッタに譲渡する」旨が記されています。

*4:まあこのモズライト問題の場合、単純なコピーモデルとも違い、正当な権利がないにも関わらず"モズライト正規品"として販売してしまっていることが最大の焦点なのですが。