きょうはサークルの演奏会のお手伝い、OBとして(3年で現役卒業なので)。

もう一年がたったのかという印象……ということはなくて、逆に去年のことがだいぶ昔のことのように思える。あのころにくらべ、生活の中心軸が完璧に変わったし、考え方、物事に対する視点もすこし変化した。多少の客観的視点、力の分散、あきらめと受け入れ。客観性を持つことが成長というのなら、多少は成長したのかもしれない。ただそれは、自分の中にある機軸が少し移動しただけだと思うが。

ビートたけしの話でこんなのがあったのを思い出した。
漫才ブームの渦中にいたツービートは飛ぶ鳥を落とす勢い、舞台でもドッカンドッカン笑いがくるころの話。まさに時代は自分たちのためにあるような状態、であるのにその時のことをたけし曰く「舞台に立っていてもどこか上のほうから自分たちを見ているもう一人の自分がいて、どこか冷めちゃってる部分がある。キヨシさんなんか100%楽しんじゃって、おもしろそうなわけ。どっちがより楽しそうかっていうとそれはもうキヨシさんなんだけど、どうしてもおいらは半分ぐらいにそれが抑えられちゃうの」と(だいたいそんな感じ)。

そして、漫才ブームの終焉、その他もろもろを経てどっちが生き残ったかというと、それは言わずもがな。
主観100%だと喜びも100%、しかし悲しみも100%、状況に己が埋もれてしまい思考停止になる。つぎにつながる思考を維持するには客観性を持ち、それは喜びの享受をすべてうけることのないことを覚悟すること。

単純に言えば、生まれ持った人間の性格の話なのだが、もともと客観性に乏しいkiaoは、そんなことを意識しなければいけないということ。
主観的人間はつい「自分が。自分が…」ってなってしまうからね。よくない。