課外授業ようこそ先輩

という番組を見た。今回の先生役は松尾スズキ。テーマは「大人について考える」
松尾は「大人とはどういうことか」ということを親に聞いてくる宿題を子供たちにだした。そのなかで、ある一人の子が印象的だった。
その子の親が言うには「仕事をしていると、いろんな責任がでてくる。その責任をきっちり果たすのが大人だ」ということ。そこで、その子が言ったこと。

「責任って、なにかいいことある?」

この考え方っておもしろいと思う。我々にとっては責任はそこにもうあるもので、それを果たさなければペナルティーが待っている(ちょっとネガティブすぎか)。その子の親は「責任があるということは信頼されてるっていうことでしょ。その信頼を裏切りたくないからがんばるし、そこでがんばれたら仕事が終わった後のお酒がおいしいんだよ。信頼がなくなった後のお酒はおいしくないから」といっていた。

そこでkiaoなりにも考えてみた。

仕事で考えた場合、役職が上にいくほど責任が大きくなる。世の中には大別して2種類の人がいて、「上司でしたいことがある人」と「上司をしたい人」だ*1。責任と引き換えに得られるものは、「仕事の権限の拡大」と「賃金」でありこの二つがあるからこそ、2種類の人間にその位置を魅了させるのだろう(あとは、えらそうに見えるというほほえましい権力欲か)。「仕事の権限の拡大」とは、自分の判断でできることの拡大、言い換えれば「自由さ」だ。では「賃金」はというと、世の中の多くのもの(すべてではない)が貨幣と交換できるとなれば、自分の欲求をみたすことのできる「自由」ではないか。

と考えると、大人と子供の違いは「自由であることの大きさの違い」ではないかと思う。もちろん、自由を得るためにはそれ相応の代償が必要となる。権利と義務の関係にも似ているか。


ついでに、松尾が教室の子供に「子供のほうが(大人よりも)いいと思う人」と質問した時、2/3ぐらいが手を上げていた。これには驚き。kiaoが子供のころは、早く大人になりたくてしかたなかったのだが。

だから少なくとも子供たちには、大人と子供の違いとは「責任があること」なんていうよりは「自由度の大きさ」と答えたほうがよっぽどいいと思うが。
「責任があること」のほうが現実的な意見だという人がいるかもしれないけれど、現実なんて生きていれば存分に味わうことができるし。むしろ「そんな大変なことをこなしている自分は実はすごいんだぞ」と子供に言いたい気持ちが見え隠れするけれど。そんなこと全くないといいきれますかね。少なくとも、子供が希望を持てないっていうことのほうがかなり不健全だと思われるが*2

*1:「上司になんてなりたくない人」もいるだろうけど、あくまで一般的な分類として

*2:番組のエンドロールで、子供が「大人は責任があって大変そう」なんて感想が多かった。