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- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2005/12
- メディア: ムック
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伊藤剛の「テヅカ・イズ・デッド」は未読なのだが、夏目房之介・宮本大人・伊藤剛の対談によって、「キャラ/キャラクター」の違いを少し理解する。
つまりは、
本来、無限の可能性を持ったものとして生まれた「キャラ」は人格として成長してゆく過程で、持っていた可能性をそぎ落とされていくわけです。リアルに描き込まれて「キャラクター」になっていけばいくほど、もし矢吹丈がサッカー選手だったら、という想定をすることが馬鹿馬鹿しくなっていく*1。
とし、それにからめて「萌え」とは
僕の考えでは「萌え」というのは「キャラクター」をもう一度「キャラ」へ強引に戻していることに過ぎなくて、*2
その例として、
二次創作で、もはやサッカーをしていなければ性別は女でも着物を着ていたりしていても、「若島津」と呼ばれていれば、それは「若島津」なんですよ(笑)*3
と言う。夏目房之介・東浩紀・伊藤剛のトークでも、そこには一枚絵でもその力を持つ「キャラ」の記号性、「キャラクター」が物語の中では一回きりの人生が「キャラ」に転換することによって二次創作という他の人生、つまりは別の可能性を持つことに触れられている。
他に、マンガを構成する「キャラ」「コマ」「言葉」という三角形のイメージ、ジャンルによるそのバランス加減の違い、「フレームの不確定性」という話も興味深かった。
浦沢直樹やあずまきよひこのインタビューもおもしろいし、イズミノユウキ氏による「視線力学の基礎−読者の〈目〉が漫画に与える力−」は、漫画が持つ読者への「話・キャラクター」の心理的見せ方など、今までぼんやりとしか感じられていなかったものを明文化していて非常に興味深かった。
ユリイカ‐詩と批評‐*4とあるけれど、完全にそのふたつが分離している。サブカルなものを取り上げたりしないと、やはりもうからないのだろうか、と余計な心配。