ドルリー・レーンから(kiaoが勝手に)送る言葉

「(…前略…)たしかに、完全であることに越したことはない。しかし、あらゆる細部が完全である必要はない!どこまでも正確に期するのは……たとえていえば、海の景色を描くのに一つ一つの波を描き、樹木を描くのに一枚一枚の葉を描くようなものだ。一つ一つの波、一つ一つの葉、人間の顔の一つ一つの皺を描いたのでは絵画としての価値はない」

ヴィンランド・サガ(1) (講談社コミックス)

ヴィンランド・サガ(1) (講談社コミックス)

その尋常ならざる描き込みは好きだけど、いつか(もう一度か)ぶっ倒れますよ。

「動作、声、ゼスチャアによって一つの生命を描写すること、ある実在の人物を彷彿させること、それが終始、舞台人としての私の心をとらえていた……べラスコは、この技術を心得ていて、誰もいない舞台にさえ、一つの情景を生かした。一例をあげると、のどけさ(原文 傍点)という情緒を出すのに、ちょろちょろと火が燃えている暖炉というような、ありきたりの舞台装置に満足しなかった。彼は開幕前に一匹の猫を身動きできないようにしばりつけておく。そして開幕と同時に紐をとく。猫は舞台の中央で起きあがり、暖炉の前であくびをし、大きく四肢をのばす……。台詞としては何もないのだが、観客は誰にも親しいこの情景だけで、これが温かい、落ちついた部屋であることを感じる。これだけの印象をあたえることのできる(以下略)」

きみのカケラ 1 (少年サンデーコミックス)

きみのカケラ 1 (少年サンデーコミックス)

青年誌出身のためか、ついついネームで読ませようとしてしまってる。ネームで読ませる構成と絵のアンバランスが、青年誌では逆に強みになったのだが、少年誌ではそれがストレートに仇になってしまった一例だと思う。


言っておくけれど、この二つの作品(作者かな)は好きです。好きななかにも……ね。