殆ど季節関係ないですが、なにか?

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)

何しろ「ゴールデンボーイ」が330Pほどあるので、その半分ほどの「刑務所のリタ・ヘイワーズ」の内容、よりは登場人物をほとんど忘れかけていたりする。


「刑務所のリタ・ヘイワーズ」
映画「ショーシャンクの空に」の原作らしい。終身刑受刑者である語り手の「おれ」こと「レッド」が、妻とその浮気相手を殺したとされて同じく終身刑を言い渡された元ポーランド銀行副頭取「アンディー・デュフレーン」について物語ってゆく形式で話が進む。

なんだ、お前は自分のことを書いてないじゃないか、と天井桟敷で誰かが言ってるのが聞こえるぜ。(…中略…)しかし、わるいな、そうじゃないんだ。これは全部おれのことさ、一語一語が。アンディーこそ、やつらがどうしても閉じ込められなかった俺の一部、(…中略…)喜びに包まれる俺の一部だ。

デュフレーンは、シスターと呼ばれ新人のカマを掘ろうとする服役者たちの暴行や刑務所長の囚人たちに対する扱いの悪さにも決して屈しようとせず、その屈強な精神力と頭の回転の速さで、己の立ち居地を決して変えることなく状況を打開してゆく。

つまり、シスターどもを相手にするには、二つの方法しかないってこと。戦った上でやられるか、最初からやられるかだ。
やつは、戦うことにきめた。


ゴールデンボーイ
ある日トッドは、古い印刷物で見かけたことのあるナチス戦犯の顔を街で見つけた。昔話を聞くために老人・ドゥサンダーに近づくトッド。ドゥサンダーは過去のことはもう話したくもないのだが、トッドは話さないと指名手配書に載っている男がここに住んでいると通告すると脅す。トッドの目的はその老人が関わった歴史の暗部について本人の口からその体験を聞きだしたい、ただそれだけだ。それは思春期の少年がスプラッタームービーや暴力ゲームに魅入られるような、純粋な(それゆえに容赦のない)興味それ自身であった。

老人が一般論に話をそらそうとするたびに、トッドはきびしく顔をしかめ、特定の質問をして、話を起動にもどさせるのだった。ドゥサンダーは、しゃべりながら多量の酒を飲んだ。にこりともしなかった。トッドはにこにこしていた。

少年に翻弄され続けるドゥサンダー。しかし過去への扉を無理やりこじ開けられるにつれ、次第に老人はそのころの自分の一部をとりもどしつつあった。そしてついにはその主導権を少年から奪い取る行動をとる。

ドゥサンダーは自分の悪夢をなだめる方法を見つけたのだ。(…中略…)あの少年には感謝してもいいと思った。過去の恐怖をひらく鍵は、頭から拒否することではなく、それを熟考し、むしろ友人のように抱きしめてやることにある、と教えてくれたのだから。

少年と老人は互いの悪魔の部分を相手に串刺して、少し間違えば両者とも日常の世界から脱落してしまう塀の上を歩き続けるはめになる。その時がくるまで…。

「刑務所〜」はデュフレーンという人間の(静かなる)強さ、その魅力を書くことに成功している。たとえどんなに理不尽な目にあい、何十年も苦汁を舐め続けさせられても、諦めという安楽(またの名を絶望と呼ぶ)に身を落とさずに自分を支え続ける彼の姿に、読者は畏れの念を抱く。
「ゴールデン〜」は本文の記述を用いれば、心の枷でお互いを醜くファックし合う姿に、読者は恐れの念を抱く。ただ、基本的にはこの二人の緊張関係一本槍なので少し冗長に思える。2/3ぐらいに削ってくれたら、もっと引き締まった気もする。しかし最期、すべてを終末に向かわせるカタルシスにおいて、たいして重要と思われなかったある人物が複線になっていたこと気づかされる構成は、さすがにうまいなと思った。全体的にエンターテイメントとしてそこそこではあった。