ブラウン神父とかレーンとか、こういった大人の友情ってなんだかいいわ。

ブラウン神父の秘密 (創元推理文庫)

ブラウン神父の秘密 (創元推理文庫)

各話にある仕掛けについては小粒のものが多かったが、それでもチェスタトン的逆説に満ちた語りがピリリとスパイスになっている。
ブラウン神父はその名のとおり、神に仕える役目を担っている。だからこそ神秘の名を借りたペテン、謎を奇跡と呼ぶことでその真相を探求するそれをあっさりと捨ててしまっていること、それらを見逃すわけにはできない性分である。一個の林檎でも光の当て方を変えることによりその光影が変わるように、神父も視点を変えることによって、真実を浮き彫りにする。その視点を変える方法とは、物事を外側から推量するのではなく、その内面に(精神を)入り込ませて状況を知ろうとする。事件が起きる、ではそれを行った犯人の内面に入り込む疑似体験を想像する。そうするとおのずとその犯人がどういった人物なのかが見えてくる。
なぜそんなことができるのかというと、神父は「精神の弱さ」を認めているからである。ある犯罪が起こった時、ひとは犯人を凶悪なものと忌避し恐れる、自分の得体の知れない生き物が人の生命を奪ったと。しかし神父は違う、どんな人間でも「精神の弱さ」を持っていて状況が揃えば罪を犯す可能性は十分にある、それは誰しも持つものであり、だからある状況に自分の精神を置けば、犯人がどんな人間なのかが感じ取れるのだ。
それは一言で言うと「(他者への)想像力」である。
本書の中でそれが一番端的に表されているのが「メルーの赤い月」ではないだろうか。

それとともに、チェスタトンのユーモアのセンスも楽しい。
以下、「主人公」の登場シーンだ。

そして谷間の道をこちらに近づく客人の姿を認めると、それがはるか遠方の黒い点の様にしか見えないうちから(フランボウが←神父の友人)出迎えに飛び出し、(…中略…)その黒い点はしだいに大きくなっていったが、形状から言えばそんなに変化しなかった。どこまで来ても客人の姿は、大体のところ、相変わらず丸っこくて黒かったのである*1

なにもそこまで言わなくとも(笑)

*1:客人とはもちろんブラウン神父のこと