そして、新しい生活が始まった。

というわけでなかなか本が読めない今日この頃。ただ「読んだ」だけで終わらせることもできなくもないけれど、そういった味気ないものだけでこのスペースを埋めることはなるべくしたくないつもり。こうしてブログに何かを書き付けているのにも、kiaoなりの意味が当然あるつもりなわけで(でもそれは即物的なものではない)。
読書の楽しみは、読んでいるときは勿論、読書後その本を読んだことによって自分の中にそれまで存在していなかったほんの小さな「何か」に思いをはせることにもそれはある、とkiaoは思っている。なんてったて、読むという行為は「作者」と「読者」との「1対1の真剣勝負」なのだから(「孤独の発明(ポール・オースター 著)」のなかで同様のことをうまく記述してくれている)。
たしかに、本当の読書家の方と比べてみたらkiaoなんて読書家の「ど」の字すら自称するのもおこがましいくらいの読書量だ。ただ新しい生活が始まり、めまぐるしい変化の中それなりに充実した日々を送っている今日この頃、しばらく水を飲んでいないと咽喉が渇くように「あ……本が読みたいな」と思っている自身に気づく。
そうか、kiaoにとって「本」は「水」なのだ。過剰に飲むことはできないのだけれど、足りなくなってくると焦がれてくる。ただ「水」と違ってなくてなっても死にはしないだろうけれど、それはそれでなんと味気ないものになることか。
時間も場所も、時には作者の生死すら飛び越えて対話をすることができる*1「本」というものへの敬意、尽きることはない。

それは、音楽にも当てはまる。kiaoの構成成分の大部分は「本」*2と「音楽」でできている*3

*1:もちろん、普通の意味の「対話」ではないけれど

*2:kiaoの場合は「マンガ」も含む

*3:そこに「MJ3」が少々。スポーツが当然のように存在しないのはご愛嬌(笑)