愛すべき人はいつまでも、死なない。
- 作者: こうの史代
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2006/03/11
- メディア: コミック
- 購入: 10人 クリック: 50回
- この商品を含むブログ (173件) を見る
妻が突然逝ってしまった
悲しいとか寂しいとか思う間もなく日々は過ぎ
そのうち美味しいとか楽しいとかどうでもよくなってきて
「うちに来いよ父さん 仕事ってったって定年で今はバイト扱いなんだろ?」
反対する理由もないので黙っていたら……
というふうに何となく流れで息子夫婦家へと同居するようになった参さん。荷物の整理をしていたら偶然見つけた、妻が生前綴っていた「奥田家の記録」という生活ノート。
…父さんだのじいさんだの
考えてみればおれの事を参平と名前で呼ぶ人もいなくなったわけか………
とくに劇的なことが起こるわけでもない日常。けれどその日常と参さんを繋ぎとめるものはおつうさんのノート。妻はもういない。けれど、ともにすごすべき家族はしっかりと目の前にいる。息子夫婦と孫の乃菜、おつうさんのノートとそして参さんがおくるライフストーリー。
こうの史代の品のあるところは、けっして「ね、これって感動するでしょ!?」といったぎらぎらとしたいやらしさなどなく、ただただいいマンガを書き連ねようとする姿勢が見えるところだ。
ふつうにおもしろいのだ。ちょっといい話で結末を迎えようとしても、そこはきっちりオチをおとしてくれる。
そして緩急をつけたネームの見せ方がうまい。「マンガは絵で見せるもの」という意識が常にあるのか、「たんたんとした時間の流れ」を表現する時には極力台詞を省いてポンポンポンッとコマを進める。それはまるで、人の記憶の断片がそういう形であるかのように。
また、ノートについてもただおつうさんの思い出をなぞるだけではない。洗濯物を干すことについて、暗幕から新しいヒントを得たことを新しく書き加えている。おつうさんとの過ごした日々を忘れることはできないが、それを明日への歩みを鈍らせる理由にせず、まだまだ日常という道を歩き続ける。
「空しい
食うために働き 働くために食い 片付けてはちらかし ちらかしては片付け………
生きる事はなんと無為なのだ」
「ならせねばよい 死ぬわけじゃなし」*1
一番ほれぼれしたのは24Pの5コマ目。参さんがおつうさんが遺した乃菜のプレゼントである洋服を取りに行くために、かつて住んでいた家へ一時帰ったときの話。廊下を歩いている参さんが食卓から見える構図なのだが、この視点の位置に注目したい。
これは誰の視点なのか。もちろん参さんのものではないし、おつうさのんと思いきや、それにしてはその視点の中心に参さんがいるのではなし。
そう、これはこの「家」の視点なのだ。主人が(死んではいないが)いなくなって、その主な役割を終えたこの入れ物が写す風景。昼夜問わず変わらぬ背景に、たまたま帰ってきた参さんがちらりと写っただけで、参さんはその構図の中心足り得ないのだ。なぜなら参さんはもうこの家の住人ではなく、たまたま通りかかった人にすぎないのだから。
深く、静かに話を楽しめた。もちろん、話はまだ続いているんだよね!?
*1:このあとのオチがまたおもしろい