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あなたに似た人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 22-1))

あなたに似た人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 22-1))

「競売?」女は眉をしかめると、ききかえした、「競売って、いったい、なんの競売ですの?」
「ほら、一日の航程を算出したナンバーを売りに出す、あの馬鹿げた古くさい競売のことですよ。夕食のあと、喫煙席であったでしょう、あれを、あなたがどう思っていらっしゃるかと思いましてね?」

訳者解説にもあるとおり、ダールは主に二つのテーマのどちらかに分類される短編を書いている。「賭博に打ち込む人間たちの心の恐ろしさ」「実際にはなんの現象もないところでも、人間が集まることによりその想像力から事件が起こる、想像力の恐ろしさ」というふたつ。
恐ろしさというよりは滑稽さ、むしろコメディにちかいものもあるので、気楽に楽しめる作品。「海の中へ」なんて大笑いしたもの。必死な人間のアホな行動ほど、滑稽なものはない。「偉大なる自動文章製造機」は作家に限らず、音楽家でも画家でも何かをクリエイトする人間なら一度は考えたことのあるアイデア。たしか東野圭吾も似たような話を書いていなかったかしら(うろ覚え)。
お話の筋としてはシンプルといえばシンプル。ただダールの筆による登場人物の心理・葛藤の掘り下げが丁寧なので、お話に面白みがでてくる。「アカギ」が話は進まないのになんかおもしろいのに似ている、かも(いや、まああれはもうネタもいいとこだが)。
「韋駄天のフォックスリイ」を読んで違う話を考え付いた。

 36年変わらぬいつもの通勤電車。私たちの駅といえば、ちいさな田舎町のそれで、たった19人か20人ぐらいの頭数の人たちである。お互い話をするわけでもないが、顔見知りといえばこれ以上の顔見知りはない。しかしその均衡を破るものがある日突然、ついに現れたのだ。その男が現れてからというもの、長年培われてきた安定が崩された苛立ちに、私は内心穏やかではいられなかった。それはおそらく私以外の皆も感じていたに違いない。そして、ある日事件は起きた。
 いつものように例の通勤電車が来るのを待つ間、タイムズを読む私は、その中に恐るべき記事を発見した。
 「他殺体発見される。身元はジェームス・ブキャナンと判明」
 それ自体は小さな記事だったのだが、問題はその死体が発見された場所だ。その場所とは、この電車の終着駅のであるフォームであったのだ。そしてこの名にも覚えがあった。それというのも、彼はこの私と共に長年通勤を共にしてきた人たちのなかの一人だったのだから。
 そういえば明らかに電車を待つこのフォームの空気がいつもと違った。誰もこのことを口に出したりはしない。だが、だれもが心の隅で感じ取っていたのだ「やつだ。あの見知らぬ新参者がこの電車に紛れ込んでからだ」と。
 電車がプラットフォームにやってきた。例の新参者もいる。私は電車に乗り込むと例の考えを捨てた「馬鹿な、そんなことがあるもんか。たんなる偶然にすぎん。第一ヤツが殺したのなら、こんなに堂々と前日同様、私らと共に電車に乗ってなんかいるはずがない」
 ふと、気づくと何か違和感を感じた。そう、行き先も時間も外の風景も同じであるこの電車において、変わるものといったら一つしかない。乗っている人間だ。
 以前紛れ込んだ新参者とは違う男がもう一人、この電車に紛れ込んでいる。
 誰だ、こいつはいったい何者なんだ。
 そして私は先の考えを変え始めることになる。なぜなら翌日、また一人消えたのだから。我が通勤者たちの一人が……。

 
 
なんだか、オチがしょぼそうだな…。