言葉をめぐる冒険

翻訳夜話 (文春新書)

翻訳夜話 (文春新書)

以下、ほぼ自分用メモ。

村上氏と柴田氏に共通するもの。

村上 (…前略…)僕は翻訳者としてはどちらかといえば逐語派です。(…中略…)一語一語テキストのままにやるのが僕のやり方です。そうしないと僕にとって翻訳する意味がないから。自分のものを作りたいのであれば、最初から自分のものを書きます。(…略…)

柴田 (…前略…)こういう翻訳の授業をやっていると、(…中略…)僕が皆さんレポートに書くコメントというのは、わりと直訳を褒めて、意訳すると凝りすぎとか、原文からずれているとかいうコメントをすることがどうも多いみたいなんですよ。

翻訳する上で大切にしていること

村上 僕の場合はそれはリズムなんです。呼吸と言い換えてもいいけど、感じとしてはもうちょっと強いもの、つまりリズムですね。(…中略…)どういうことかと言うと、長い文章があれば三つに区切ったり、三つに区切られている文章があったら一つにしたりとか。ここの文章とここの文章を入れ換えたりとか。

村上 (…前略…)文体ということで言うと、これはすごく漠然とした表現になるんですけど、いわゆる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というやつで、翻訳する場合、とにかく自分というものを捨てて訳すわけですよ。ところが、自分というのはどうしたって捨てられないんです。だから徹底的に捨てようと思って、それでなおかつ残っているぐらいが、文体としてはちょうどいい感じになるんだね。

村上氏と柴田氏の翻訳と言うものに対しての考え

村上 (…前略…)で、僕がなぜポール・オースターを訳さないかというと、それは僕がポール・オースターから、文学的・文章的に学ぶところがないからなんです。と言うとすごくきつくなって、(…中略…)ポール・オースターは、すごく立派な仕事をしている作家だと思うんだけれども、彼が進んでいこうとしている方向と、僕が進んでいこうとしている方向は少し違うんです。だから、僕はポール・オースターの作品をあえて翻訳しようとは思わないわけ。なぜかというと、僕にとっては翻訳するというのは何かを真剣に学びとろうという作業なんです。

柴田 そうですね……難しいな。うーん、ある程度僕の中に呼応するものはあるんだろうけどなぁ。たとえばスティーブ・エリクソンとかを考えると、この人みたいなパワフルなものが僕の中にあるかというと、自信ないですけどね。

柴田 (…前略…)僕はあくまで一読者として、自分がほとんど召使というか、奴隷というか、そういうものになって、主人公の声をとにかく聞いて、それを別の言語に変換するふうに考えるので……

村上 でも、それは翻訳の一種の巫女的というか、ミディアム的というか、そういう側面ではないかなと思うんです。呼応要素がなければ、そういうことは起こらないんじゃないかな。