兄蔵という表現者がいた

あれは3年前ぐらいだったと思う。何かの用事で新宿に行った帰りに(もちろん、今となっては何のようだったかは思い出せないが)、JR新宿駅の東南口(タワーレコードがある、ちょっと上り下りがめんどうな階段のあるところ)に足を踏み入れた時だった。

どこからか不思議な音色がするので「新宿駅ってBGMなんか流していたっけ。休日だからか?」と、ふと足を止めて聴き入っていた。しかしよく聴いてみると、それには音圧があって、空気を揺らす音の感触が単なるスピーカーから流れるそれとは違ったのである。

気になったので、音のする方を探り当てようと歩を進めると、そこに一人の奏者がいた。それが兄蔵だった。

ベース一本で奏でるその音は、街の喧騒の隙間を突き抜けるように耳に届いた。両手タッピングのその演奏スタイルは、左手でベース音を叩きつけ、右手でタップとスライドを織り交ぜながら曲の世界を作り上げていた(2・30M先にはもう一組、路上バンド隊がいたのだが、兄蔵の演奏が終わるまで音だししていいものかどうか躊躇していた)。

演奏が終わった。歩道のガードに腰をかけて聴いていたkiaoはすぐに彼から、音源集であるCDを購入した。これは絶対手に入れておかないといけないと、瞬時に判断した。

「凪」風を止めると書いてナギ。それがアルバムタイトルだった。表題作である「凪」は、<2001年1月西新宿の路上、真冬で冷たい風が吹き抜ける中で、即興でこのメロディーを弾いていたら、不思議なことに風が止んで目の前に人だかりができていた。>という。1本の5弦ベースで奏でられるその音は、太く真っ直ぐで、でもどこか寂しさと温かさを内包したものだった。

今では(今でも?)あまり新宿に行く機会はない。ネットで検索をしても、活動を窺い知る事が難しい。だけど、この「凪」は今でもたまに引っ張り出して愛聴している。あれはまさに、一期一会の出会いだった。