もがき、暴れ、俺らが血を流すのは、狂気と欲望が渦巻く茶番により
- 作者: ジェイムズエルロイ,James Ellroy,二宮磬
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1993/11
- メディア: 単行本
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J・エルロイ作品のパブリックイメージは、法月綸太郎氏の解説にもあるように「「暴力」「狂気」あるいは「情念」」といったものなのだろうが、まあ、当たってはいると思う。でもそれと同時に感じるのは、男の生き様だったり、(権力への欲望という点も含めた)政治の部分だったりもする。
ご多分に漏れず、「ビッグ・ノーウェア」も時間と金と良いキャスティングがあれば、原作の旨みを殆ど損なわずに映像化できると思う*1。映像化と非常に相性がいい作品だと思う。
ここからは、個人的な感想。
途中、読みつかれてきたのは否めない。というのも、どうもkiaoは警察小説(!?)というような、「推理」ではなく「捜査」で展開される話が得意ではないみたい。ミステリ的な謎なら、その謎である理由が視点の違い(読者の盲点を突く)による楽しさがあるのだが、(捜査)事件的な謎は、読者が謎を解く要素は(事件を印象づけるキーワード的なものはあるが)持ち合わせてはいなく、作者が小出し小出しにちぎっては落としてゆく答えを、読者が拾いながら追っかけてゆく感があって、ちょっと疲れる(やっぱり、よくわからない比喩だなぁ)。
上で《映像化と非常に相性がいい作品だと思う》と記述したが、それって逆を言うと「小説ならではの味わい」というものが少ないとも言える。…ちょっと違うな。そうか、kiaoが好むような感傷的な文じゃないってのが大きいのかもしれない。
この女がさっさと帰ってくれと思っているのか、邪魔が入ったのを歓迎しているのか、バズにはどっちともわからなかった。天気のいい冬の一日を、高利貸し業の上がりを計算して過ごすなどというのは、バズにすればよだれが垂れそうなほどうらやましいことではあるが。
フリッツィーは男の耳にアイスピックを入れ、ベートーヴェンを指揮するトスカーニ罵詈に、指揮棒がわりにかるく突いたり掻きまわしたりした末、気の毒な殺し屋の脳にとどめの一突きを入れた。
大いなるさよなら(ビッグ・アディオス)超弩級セクシー娘(ヴァ・ヴァ・ヴーン・ガール)破壊分子(バッタ)糞ったれ(プタ)御用聞き(バックマン)男色家(パンジー)倒錯者(クイーア)ホモ(フルート)同性愛者(ホモ)といった用語も、さすが舞台が1950年の話だけあって映える*2。