逆説のチェスタトン

ブラウン神父の醜聞 (創元推理文庫 110-5)

ブラウン神父の醜聞 (創元推理文庫 110-5)

残念だ。ついに「ブラウン神父」シリーズを読み終えてしまった。あまり読み過ぎないように、少しずつ〃読んでいっていたのに。それでもいつか終わりは来る。
チェスタトンの文章は、読んでいるその瞬間にもう心地よい。例えば、今適当に目についた文を挙げてみても、

さて、神父は今、死体がころがり落ちた椅子に腰をおろすと、かつて死体が吸いかけたところの葉巻を拾いあげ、丹念に灰を払い落としてから全体を調べ、そのまま口に持っていったのである。これは死者を愚弄した猥雑で醜悪な道化芝居とも見えたが、本人には、平凡きわまる常識ごとと思えたのである。濛々と立ちのぼる紫煙が生贄と偶像崇拝の儀式さながらだったが、ブラウン神父にしてみれば、一本の葉巻がどんな品質であるかを確かめるには、それを吸ってみる意外にないということは自明の理だった。

もう、読んでいて楽しくて仕方がない。一見世間的にオドロオドロしくみえる行為も、その本質に目をこらせば、そこには理にかなった理由があることを「醜と素」とに対させた文で見せてくれる。
また、時折見せる詩的な文章も、溜息がでるほど好きだ。

目の前の巨大な黒い建築物に荒涼とした朝の光が照りつけて氷のように砕けていた。神父は、この冷たい水晶のような光りのなかで街路がほとんどひとりの人影もうつさずに輝いているのを見て驚いた。

驚くのはこっちだ!!「光」が「砕ける」なんて…。眩暈がしてくる。これって、チェスタトンもすごいのだろうけれど(原文読みではないから断言できないが)訳の中村保男氏の技術によるところも大きいのだろうか。すばらしい。
そして、物語の最期に待ち受けるのは、人の心の盲点を突いた逆説の真理。読み終わる頃には今まで持っていた価値観を、くらりと揺さぶってくれる。どれをとっても一級品で、読み心地よい作品群だった。
まあまだ、他の作品もあるし、ゆっくり時間をかけて読んでゆこう。