思考をもっと遠くに飛ばせ。単純でわかりやすい答えに惑わされるな。

シンセミア〈3〉 (朝日文庫)

シンセミア〈3〉 (朝日文庫)

シンセミア〈4〉 (朝日文庫)

シンセミア〈4〉 (朝日文庫)

諸々のうわさが連結されてゆくうちに、人々の恐怖心は不気味なまでに肥大化してゆき、世界の裏側を垣間見たがる(大抵は安易な)想像力に彼らは度々打ちのめされた。直接的な繋がりがないのは明白なはずの個々の事件を驚くべき短絡思考によって一纏めに扱い、そこから不吉な前兆を読み取らずにはいられなかったのだ。今までは、こんなふうに良からぬ出来事が連続して発生することはなかったのだから、何らかの常識外れな理由があるに違いない、というわけだった。

産廃処分場の建設是非問題に揺れる山形県東根市神町でおこった不可解な3つの事件(「自殺」「事故死」「行方不明」事件)、放火事件に地震の頻発、そのころから巷に流布されるようになった幽霊目撃譚、それに続いて町を襲った大型台風による未曾有の洪水、果てにはその水かさの増した町中に流れて来た二つの木箱にはそれぞれ死体が…。町の住人の恐怖心は臨界点を突破して、この不安の正体を突き止めて(それが本質的に合っているかどうかは関係ない)少しでも早く精神の安定を欲していた。そんなときに人々は、誰もがすぐにその思考を辿り着かせることのできる、ゆえにそれは単純であるほどよい、考えを欲する。

「通念(conventional wisdom)という言葉を作ったのはウルトラ筆達者な経済学の賢人ジョン・ケネス・ガルブレイスだ。彼は通念という言葉をいい意味では使わなかった。「私たちは真理を自分の都合のよいこととむすびつける」(…中略…)経済・社会学的行動は「複雑であり、その性質を理解するのは精神的に骨が折れる。だから私たちは、いかだにしがみつくようにして、私たちのものの見方に一致する考えを支持するのだ」。
つまり、ガルブレイスの見方によれば、通念は、単純で都合がよくて居心地よさそうで、実際居心地がよくなければならない――正しいとは限らないけれど。

スティーブン・D・レヴィット スティーブン・J・ダブナー  望月 衛 訳  「ヤバい経済学」

物語の中で、「ある者たち」が彼らの敵対する者たちの手により、町中の敵にしたてあげられる。冷静に考えればそれまで神町で起こった事件がその「ある者たち」のせいでおこったという確証はなに一つとしてない。だが、自分たちの不安・不満をぶつける対象を見つけた彼らは、一斉に彼らを攻め立て、排疎し、自らの安定を取り戻そうとする(その典型として、スキャンダラスな神町の噂を聞きつけてやってきた自称霊能者たちのうちの一人を信頼し、彼にこれらの元凶と考えている「ある者たち」を取り巻いている”モノ”を除霊させようとするのだから)。

この神町では50年ほど前にも、町の汚名と目を覆いたくなるような現状をどうにかするために、(先の話に出てきた話のとは別の)<ある者たち>をそれらの元凶ととらえて排疎しようとした。そのときも、複雑な要因が絡みあった真の原因の究明をするわけではなく、目の前にある、単純でわかりやすい<ある者たち>を標的とし、あとは集団真理の作用を利用して大きな事件をおこしている。

通念はだいたい間違っている(原文傍点アリ)。(…中略…)通念はおうおうにしていい加減だ。見透かすのは難しいけれど、できないことはない。
遠く離れたところで起きたほんのちょっとしたことが原因で劇的な事態が起きることは多い。答えはいつも目の前に転がっているわけじゃない。

スティーブン・D・レヴィット スティーブン・J・ダブナー  望月 衛 訳  「ヤバい経済学」

複雑に絡み合ったこれらの人間関係・事件を最期におとすためには、…たしかにこういう方法があるよなぁ。もちろん、阿部和重は分かった上でこうしたのだろうけれど、これとは違う終わり方も見たかった(のは個人的な思い)。本書は地の文が丹精だったので、誰の視点でもない町の出来事を記す感じがよく楽しめた。

ところで粉塵爆発って、超頭脳シルバーウルフでけっこう知られるようになったのだと思っているのだけど、……違うかなぁ。

追記メモ
ネズミ視点の意味はなんとなくわかって、粉塵爆発の意味はたしか豊崎氏の話かなんかでわかったのだが、渋谷で「トラックで轢きまくり事件」を(作中に)起こす意味がよくわからなかった。だれかわかる人いますかー*1