脳は、社会的状況によって異なる働きをするという認識

はだかの脳

はだかの脳

社会神経科学。面白そうなエピソードをいくつか。
一つはミラーニューロンの話。
私たちの思考や行動は、自分自身から発露するものばかりではなく、他人から多大な影響を受けている。実は、他人がある動作をしているのを見たとき、自分がその動作をした時に活動する脳の部分も、同じように活動する。このときに、前頭前皮質であるミラーニューロンが反応している。これはマクカザルの観察から発見されたのだが、もちろん人間にもこのミラーニューロンは存在する。私が紅茶の入ったカップを手にするところをあなたが見ていれば、自分自身がカップをつかむときと同じ運動皮質がかすかに反応する。私がその紅茶を飲めば、あなたのそれに関する運動皮質もまた同様である。このような状況下では、あなたと私の明確な境界線は崩れ、私たちは考えられるもっとも基本的なレベルで相手の行動に影響を与えるまで一体化するのだ。まさにこれは、オースターが「幽霊たち」で見せた身体論そのものである。行動が心内から発露されたものの結果であるならば、行動こそがまさに情動そのものであり、その行動レベルで相手と一体化することができたならば、それは必然的に心内の同一化に至るというものである。
二つ目は、内側前頭前皮質について。
この部分は、自分の心に注意を向けて考えたり、外に注意を向けて他人の気持ちを考えたりするときに活性化する。社会神経学者は近年、内側前頭前皮質が他人の気持ちを察するための中心組織であることをつきとめた。内側前頭前皮質は、他人の気持ちを察する能力をつかさどるとともに、自分がそのときどきにどのように感じるかという概念も扱っている。出来事を経験することを想像するだけでも活発になるし、他人の身になって考える時も活発になる。なにか気づかないだろうか。これって、まさに小説を読むことそのものではないか*1。つまり、他人の気持ちを推し量れるようになるには小説を読め。なぜなら、その場の人物の内面や出来事を想像することは、内側前頭前皮質を鍛えることになるからだ。
三つ目は、前頭前皮質と感情中枢の関係。
UCLA神経科学者ゴルナズ・タビビニアの研究によると、自分の感情を特定して分類することで感情的な反応は小さくなるという。この理由は、分類をするためには前頭前皮質による言語的処理が必要になり、扁桃体の反応が減るためである。タビビニアは「前頭前皮質は脳の感情中枢の反応を弱くする。そのため、感情を分類することは、長期にわたり感情的な反応を弱める」と指摘する。モントリオール大学の神経科学者マリオ・ボーリガードは「子どものほうが感情を制御する能力が弱い。これは、前頭前皮質の発達が成人早期まで完成しないことを意味している。しかし、前頭前皮質が発達すれば、人間は意識的に心的過程を変えることで、脳の電気的・化学的機能を調節できるのだ」と述べている。つまり、わけもわからずただ呆然と悲しむのではなく、自分のなかであらかじめ「今自分は、悲しい状態にあるのだな」と認識・分類することにより感情を抑制できるということを示唆している(前頭前皮質がきちんと大人になっていれば)。ということは、ここからある一つの定理を導くことができる。ちょーと前までこれでもかと言わんばかりに集客効果を期待し、どこもかしこも使っていた「泣ける」という煽り文句(映画でも、本でもいいけれど)。この「泣ける」と聞いた時点で、それ(映画でも本でも)が「泣ける」という感情に規定されるものだと、脳の中ではすでに一旦インプットされてしまっているわけだ。つまりは、先の「感情の分類」ができている、ということ。なのに、それらを見た(読んだ)あと、まんまと「泣ける」ことに「泣いた」自分をさらけ出せている人たちというのは、裏を返せば……はい、これ以上何も言ってませんよー(笑)

ほかにも興味深い話あり。帯の「池谷裕二推薦」を信頼して即購入したが、なかなかよかった。

*1:かなり、小説原理主義的な言い方になってしまったが。