D♭よりも悲しい笑顔

海を失った男 (晶文社ミステリ)

海を失った男 (晶文社ミステリ)

「下品な言葉を使うなよ、シルヴァン」バーテンダーが注意した。そして、老婦人の肩に手を置きながら言った。「さあ、しばらくこっちにいな――ウッ!」
最後の言葉は老婦人の肘鉄がみぞおちに入ったことに対する、バーテンダーのスタッカートな反応だった。

三つの法則

記述の鬼、描写の鬼。本書を読んでいてもやはりスタージョンに対して思い浮かんだのが、左記の言葉。とにかく記述に対して凝りに凝っているのが、少し読んでみれば分かる。だから、「ミュージック」のような超短編も書くことができるし、「海を失った男」のように、筋がよく分からんが*1、なんかすごいなって思う作品も生み出せるのだろう。
またスタージョンは、音楽に対しても非常に愛情を持っているのが感じられて、作中に音楽を登場させる時も、いかに(小説の筋と同じくらい)かっこよく音楽を描写するかということに、非常に心を割いていると思われる。

全員が音楽に集中した。演奏されていた曲は、スタンダードな技法の、ムーディでリズミカルなナンバーで、低音のコードが一つの強いトーンで何度も何度も繰り返される構成だった。やがて高音のパートが一定の規則正しいリズムで入りはじめ、軽快なステップを踏みながら、まるでくすくす笑い声をあげているような感じで、骨組みとなる低音のコードの繰り返しを行ったり来たりした。やがて高音部は落ち着きのある規則正しいコード進行に戻ったが、曲全体には依然として控えめな陽気さが満ちあふれていた。

三つの法則

今ちょうど読んでいる村上春樹の小説にも音楽がよく登場するが、こちらは固有名詞が主体。それは、それらがある種のファッションであり、(文章の)ムードの一部を担うためである(と思う)。一方スタージョンは、その音楽がもつ(抽象的な)構成を描き、その描写の部分ではまぎれもなく音楽自体が主役で、描写という名の作曲をしているといっても過言ではない。音楽のリアルなタイム感にこだわろうものならば、スタージョンの音楽描写から頭の中に音楽を構築するのはやや難しいけれど*2、これはあくまで小説なのであって、そういう意味ならば、ストップモーション的な(高音〜低音までの配置具合の)構成を見せる部分と、コード進行における曲の様相の変化を流れるように描写する部分のハーモナイズは、スタージョンの音楽への愛をひしひしと感じずにはいられない。「マエストロを殺せ」も、そのおかげで非常にクールなビッグバンド小説として楽しめたし。

そんなこともありつつ、本書の中で一番お気に入りの文章はこれ。ある男が死んだ奥さんの真意を知ろうと、「墓読み」をする男から、その技術を会得していくときの場面。「墓読み」とは、読んで字のごとく、墓そのものや墓の状態、はてにはその墓の周辺にまで注意を巡らし、そのすべてから死者がどんな人物だったのかを読み取る能力。

木の葉の反りかたや濡れた小石の輝きの意味、曲線や角度が持つ特別な意義を学んだ。そこに書かれていないものもたくさんあった。グラフに点を三つ打ち、それを線でつなげれば、ある特性を持つ曲線ができる。特性を保ったままその曲線を延長すれば、点が打たれていない部分までが意味を持つようになる。まさにそういうやりかたで、草の葉や露出した木の根、墓石の上で乾きかけた水滴の輪郭が描く曲線を延長することを学んだ。

墓読み

……はぁ、溜息がでるわぁ。

*1:読んでいた時が、非常に眠かったのもある。これは再読する必要があると思った。

*2:描写がうまくないという意味ではなく、「小説」というものの構成上しかたのないこととして。