あがきながら叶う、願いの欠片

アニメがお仕事! 6 (ヤングキングコミックス)

アニメがお仕事! 6 (ヤングキングコミックス)

「あのね、技術は教えられても、スピードは教えられないの。
こういう仕事はうまくこなせても数こなせないとやっていけなくなるの」
「手が速いって財産だぞぅ」

仕事は質×速度(量)だから。石田敦子の絵を見ると、そういった意識で描いているなぁってことがわかる気がする。質にこだわりすぎて速度(量)を殺すことは、ある種自己満足と同じだから(芸術作品となると話は別だけど)。
もちろん、質の伴わない速度(量)は、お話にすらならない。何事も「中庸」が大事です。kiaoもつい極端に走りがちなので、ふとした時に「中庸」であることを心がけてはいるのだが…。

何が叶って、何が叶わなかったの?
仕事の辛さをひとつ越えるたびに「じゃあ次の山は越えられるか?」―――と思う。「ここまでしかできなかったりして」―――と。
本当に折れる日が来る気もするし、次も乗り越えられる気もする。

そこら辺のビジネス書によくある「3年後・5年後・10年後のなりたい自分を思い描き、そこから逆算して1年・3ヶ月・1ヶ月単位での自分がすべきことを設定しましょう」というのを見ると、「それって本当?あなた後出しじゃんけんでそんなこと言ってない?」と思ってしまう。
だって、その間に自分が出来たこと・出来なかったことと(結果)いうのは自分の目標(希望)とは違うし、目標ったって自分が日々成長すれば能力的にも精神的にも変化して、自分のしたいこと・すべきこと・できることが変わってくるわけでしょ。それなのにかつて設定した10年後の目標にしがみつくのは、ちょっと臨機応変さに欠けると思う。
いや、自分のなかで立てた目標ならいいんだ。問題なのは、そういうビジネス書を鵜呑みにして、部下にやらせている上司だ。で、そういう人に限って、臨機応変さを認めない。えーっ!!て感じ。
目標を持つのは大切だ。だけど、それは臨機応変な、柔軟な「目標」であるべきだと。

あの高校の日からいろんな絵を見て人と出会って
時間に追われて 泣いて
嫌味を言われて 落ち込んだり
うまく描けて うかれたり
全部 飲みこんできた  ダメなアニメーターを見た落胆ですらも
(…中略…)
今まで自分の中にいる人たちが 芽吹いていく
許せない芽も 一緒に
どの芽を育てて どの芽をつむか
自分で選べる

仕事も恋愛も、ギリギリな状態でもがきながら、それでも気づけばほんの少しだけ進んでいる自分がいる。「進む」は「うまくいく」と必ずしもイコールにはならないけれど、自分の知らなかったことを「知る」ことには繋がる。
「知る」を蓄積することは、自分の「財産」になる。では、その「財産」に価値はあるの?
たしかに、この「財産」は他人と等価に交換することはできない。何かに役立つかもしれないし、役立たないかもしれない。だけどこの「財産」を蓄えることを、私たちは「人生の価値」と呼んでいるのではないか!?



あ、あと、イチ乃はきちんと警察をよばないとダメだと思う。