サイドストーリーをサイドストーリーとして読まず
- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/09/14
- メディア: 文庫
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推理のための情報という枷からはずされたためか、日常のなかに潜む妖艶性がより濃くなった感じがする。改めて思ったけれど、文章は改行が結構多用されている。改行を利用することによって、(己の)外にあるもの描写を抑え、より内面に入り込んだ、登場人物の心の内側から発露する記述に特化することができるのだろう。まあこんなものは、基本的な考察だが。
貴様が今ここで死のうが生きようが、戦局には何の変化もないんだ。くだらない考えは捨てろ。貴様だけじゃないぞ。その辺で死んで腐ってる連中は誰ひとりとして国益に貢献なんかしてないぞ。俺も含めて兵隊はみんな虫螻蛄だ。死のうが生きようが、歴史に名前を記すことなんかない。ならなぜ死ぬ。何のために死ぬ――」
映画「ディア・ハンター」では、前半のハッピーな結婚パーティーのシーンとうって変わって、後半に挿まれるベトナム戦争では、(主人公たちにとって)今まで意識したこともなかったようなアジアの一地域の片隅に出向き、ついこの間まで祝福を受けていた「生命」というものが、ここではあっけなく大量に奪われる現実に直面して、価値観が、精神が崩落させられてしまう。ここでは、生命を奪うことも奪われることにも大して違いがない。この生命というものに対しての困惑はデニーロ(役名忘れた)の深い部分に何かを残し、アメリカに引き上げてきて友に再会しても、体は帰ってきたが心が帰りきれていないことを印象付ける。
生命。生命とはなんだ。
私に一度しかない人生。その根源たる生命。それは運命そのものといってもいい。だから、私にしか出来ない「何か」を成し遂げるべきだし、成し遂げなければばらばない。
でも、本当にそうなのか。実は根源たる生命自体、紙の様に薄っぺらい、吹けば飛んでゆくような代物ではないのか?だったら、私が成すべきである「何か」なんてものも、やはり薄っぺらい、吹けば飛んでゆくような代物でしかないのではないか?
死んだのだ。
何も出来ぬまま。
この男は――くだらない大望も果たせず、更にくだらない満足も得られず、何ひとつまともに出来ぬまま、誰にも愛されず、誰も愛さず、己だけを愛して、己だけに愛されて、ただひっそりと、只管無意味に死んだのだ。
愚かしい。
何の価値もない人生。
否――。
生きることに価値がないように、死ぬことにもまた価値なんかはない。
塵芥だ。屑だ。
――早く腐るがいい。
死臭を嗅ぎ乍らそう思う