全ての異端者に花束を

すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

「分かっている。だからこそいっそう厳しくする理由になるのだ。彼が知的に卓越しているだけに、それに相当する道徳的責任を伴ってもいるのだ。人は才能があればあるほど、わき道にそれてしまう可能性も大きいのだ。多くの者が腐敗堕落するよりは、一人の者が苦しみを受ける方がいいのだ。問題を冷静に考えて見給え、フォスター君、そうすればいかなる罪も異端的行為ほど憎むべきでないことがわかるだろう。殺人といったところで、たかが個人を殺すだけだ――それに、要するに個人とは何だ?(…中略…)異端は単なる個々の生命以上のものをおびやかすのだ――それは社会そのものに打撃をあたえるのだ。そうだ、社会そのものに」

科学万能主義、管理社会への警鐘……と言うと少々安めな言葉に聞こえるかもしれない。だが、この小説の本質はそんな文明批判よりももっと根源的な問題を扱っている。それは、社会非適合者(アウトサイダー)に対する眼差しだ。
この世界では、人間は人工受精機で生まれ、フリーセックスの考えが浸透し個人に対するこだわりがなく、洗脳意識にこの社会を安定させるための概念を刷り込ませる条件反射的教育で管理され、肉体も精神も階層ごとに明確に振り分けられて、徹底した安定を持つ。少数のエリートと、多産されたその他が労働をもって従事する(そしてその労働に対しての快楽も刷り込まれた)社会。
しかし、そんな世界でも他と違う意識を持っている人間も存在する。

しかし、この痴者の天国である未来国にもなんらかの抵抗を示す反逆者が現れる。先ず第一の反逆者は、培養壜中の胎児であった時期に、あやまって過剰なアルコールを入れられ*1、そのため上層階級に属しながら、下層階級の劣等な肉体を付与されたバーナード・マルクスという。青年である(…中略…)第二の反逆者は、肉体的にも知能的にもあまりに優秀な素質に生みつけられて、全体主義国の政策に懐疑的な思いを抱くヘルムホルツ・ワトソンという青年である。
しかし、これら現体制の中における反逆者よりも、もっと真向からもっと痛烈にこの全体主義国に反抗の姿勢を示したのは、偶然未開野蛮国からこの国を訪れた青年ジョンである。

「解説」

人は満足していれば、文句は言わなくなる。今の状況がいいのだから、自分を取り巻く環境を変えようとは思わない。だが、満足をしていない人間は、自分を取り巻く環境の中から欠点を見つけ出し、変えようとする。
社会が規定する適正から外れた人物。その人物によってこそ、その社会の満ち足りない部分が浮き彫りにされてくる。
だが、その外れ方にもバリエーションがある。優秀さ故にアウトサイダーであるヘルムホルツ・ワトソンと、劣等感ゆえにアウトサイダーたるバーナード・マルクスでは、その視点の根本が異なる。ヘルムホルツのほうは社会が(その社会に適応させた自分の生きかたが)このままでいいのかというある種の危惧であるのに対し、バーナードのほうは社会が自分に対して注意を払ってくれない不用意さ、翻っては実は社会に(世間に)認めて欲しいという懇願に依拠している。だから、ジョンを自分たちの社会へ連れてきて、彼に会いたい人の窓口になりちやほやされたバーナードの心境は、ころりと変わってしまっている。

何日もすぎた。成功がじーんとバーナードの頭に利いて酔いが廻るにつれて、これまで彼がとても不満に思えた世間に対してもすっかり和やかな気持ちになった(良質の麻痺剤はすべてそうでなければならぬが)。世間が彼を重視するかぎりにおいては、世の秩序は正しかった。しかし、成功によって和解的になったものの、彼は世の秩序を批判する特権を放棄しようとはしなかった。それは、批判するという行為は、彼の重要人物としての意識を高め、自分がいっそう大きなものに思えたからである。その上、彼は批判すべきものが存在すると心から信じたのである。

社会に認められたがっているくせに、その社会に対して「オレはお前らとは違うんだ」という意識を持ち続けたい、捩れた二重性。社会というものを認めた瞬間に、その社会に認められなかった過去の自分を否定してしまうことになるからだ。オレが(アホな)社会にないものを持っているが故に異質であったのが、実は「劣等」であったがためだったという事実(と自分で判を押すこと)を承認してしまうことになるという。

しかし、最も強い批判性を持っていたのはジョンだった。そもそも彼は、バーナードたちが住んでいる社会そのものに依拠していない。だから、揺らぎようのない確固たる姿勢を持ち続けることができた。そして最後まで自分の姿勢を貫き通すジョンだが……。
後に作者は、この物語のアナザーアンサーたる考えに到ったというのだが、kiaoはこの結末のほうが好みだ。こちらのほうが安易さに流さない、逆に開けた終わりかただと思うのだが。

本書はまず、冒頭の引用文にやられた。ここを読んで本書を購入することを決めたくらいだ。一言で言うと「逆説であるが故の真実」。いい読書だった。


実は、ジョンでさえもある種の条件反射的教育の申し子と言えるのだけれど…。ちょっと長くなったので、それはまた機会があったら書こうと思う(……というと、大抵書かかなかったりするが(笑))。

*1:引用者注:解説にはこうあるが、あくまで彼の肉体からそう世間に噂されていただけで、確固たる証拠は本文中には示されていなかったはず