これは、アイデンティティをめぐる物語だ(なんて誰でも思うこと)

こうなると、リックには相手がどの程度に真剣なのか見当がつかなかった。全世界をゆるがすほどの重大問題――それが、いとも軽薄に語られている。たぶん、これもアンドロイドの特異点なんだ、と彼は思った。自分の言葉が現実に 意味していること(原文盲点部)について、なんの感情も、なんの思いやりもない。ただ、ばらばらな用語を並べた、空虚で型どおりの定義があるだけだ。

引きずられるように、一気に読んでしまった。
死の灰に覆われている地球に、火星から逃げ出してきたアンドロイド。彼らは非常に精巧に製造されていて、一般人には、人間との見極めが極めて困難である。そういったアンドロイドを捕獲するのが、バウンティーハンターのリック。ここで当然のように持ち出されるテーマは、「人間とは何か?人間と人間以外を区分けするものは?」。
リックは「フォークト=カンプフ検査法」を使用して、その判別をする。その方法は、被験者にいくつかの質問をして、質問を聞いた瞬間に人間なら意図せずに出てしまう一瞬の反応を調べて、それを見極める。
つまり、人間かそうでないかとは、それがらしく振舞うこととは関係なく、本人でさえコントロールできない、生まれもったもので決定してしまうことを意味する。だが、物語が進むにつれ、リックはある疑問に陥ってしまう。たとえどんなに人々に必要とされている人間であったとしても、それが逃亡したアンドロイドだと判明した瞬間に、それは破壊の対象になってしまうことを。

しょせん、本物の生きた人間と、人間型ロボットのちがいなんて、そんなものなんだ。あの美術館のエレベーターに、おれはふたりの生き物と同乗していた――。片方は人間、もう片方はアンドロイド……そして、彼らに対するおれの感情は、本来のそれと逆になっていた。おれがいつも慣らされている感情――おれに 要求されている(原文盲点部)感情とは正反対だった。

ここであるオチを考えていたのだが、実際にはそうはならなかった。それよりももっと何か心に残るような終わり方をした。さすが名作といわれるだけのことはある。