異端も支持者と時間があれば王道になりえる

Nevermind

Nevermind

ロック好きは誰でも心の中に
一編のマイニルヴァーナ論を持っている…

とまあ軽くよしながふみの「愛がなくても喰ってゆけます」をパクッてみたのだが、そんなことはどうでもよい。
前から思っていたのだが、ロック好き(特に90年代に思春期を迎えた人たち)の話を訊くと、ほぼ必ずと言っていいほど「Nirvana」を通過してきていることが分かる。The Smashing PumpkinsとかRed Hot Chili PeppersとかRadioheadとかになると、割と聴く人は聴く、聴かない人は全く聴かないとなるけれど。まあ、Nirvanaはそんなにアイテム数多くないし。基本的に「NEVERMIND」(と「BREACH」)を聴けばよいから、あまり苦労がない。
他の人がどうやってNirvanaを知るようになったのかはわからないが、kiaoの場合ははっきりと覚えている。それはTV番組の影響だ。

その昔、某局の水曜深夜に「金髪先生」という番組があった(見ての通り、タイトルは「金八先生」のパロディ)。毎週1曲の洋楽を取り上げて、その歌詞の対訳を改めて見て、どういったことを歌っているのか理解しようということを、軽い講義形式で放送していた。その先生役を、ドリアン助川(今はTETSUYAだっけか?)が務めていた。
で、そこで取り上げていたものの一つに「Nirvana」があった。
取り上げたのは、Nirvanaのメジャーデビューアルバムにして大ヒットをした「NEVERMIND」から、1曲目にして代表曲の「Smells Like Teen Spirit」。

その歌詞の一節にこんなものがある。

Hello, hello, hello how low,
(ハロー、ハロー、ハロー、ってどれだけひどいことなんだ)

あんたは気楽にハローって声をかけるが、オレはそんな状態じゃないんだ。あんたの頭の中はハローかもしれないけれど、俺の頭の中はハローなんて言える場合じゃない。そんな気も知れず、あんたはオレにハローって投げかける、なんてひどいんだ。


たぶん、こんな風な解説をしていたと思う(が、記憶が改竄されている可能性が大いにあり。本来の意味とも違うかもしれない。でもいいのだ。kiaoの中ではこういう解釈なのだ)。
これだけで十分だった。Helloという極ありふれた言葉に対し、なんという皮肉。ものすごいナナメからの物事の見方。転じればものすごい被害妄想とも言える。だが、ここにあるのは弱者からの、マイノリティからの、繊細とも脆弱ともいえる、ナイフのように鋭い言葉だ。
それでさっそくCDを買って聴いてみたのだが、…これがもう最高。一発でハマッた。
気だるさと憂鬱さと怒りをぶつけたようなディスト―ションサウンド。それは外に解放されるような開けたものと違って、どこにぶつければいいのか分からず内に内に向かって落ちてゆく混濁したエネルギー。思春期の少年少女が、これに共鳴しないわけがない(笑)Nirvanaは80年代と90年代のロックシーンの転換期において重大な役目を果たしたなど、いろんな意味ですごいバンドだということを後から知ったのだが、それもそうだろうと納得するほど、何か特別な力がここにはあった。

因みに「Smells Like Teen Spirit」というタイトルの由来も印象的だったのを覚えている。Wikipediaにもそれについて記載されていたから、抜粋。

「Kurt smells like Teenspirit」という落書きから由来する。カートはこのフレーズを気に入って新曲のタイトルにしたが、真相は“Teenspirit”はデオドラントの名前であり、同時に当時のカートのガールフレンドがつけていた物である。つまり、落書きの本当の意味は「カートは十代の精神を今でも持っている」という賛辞ではなく、「カートは“ティーンスピリット”の匂いがする」転じて「カートは“ティーンスピリット”をつけている誰かさんと付き合っている」という冷やかしであった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

またWikipediaにもあるとおり、「カートによれば、「どうも皆深読みしたがるみたいだけど、ありゃ単なるゴミだよ」とのこと。」とのことだが、それでもいい*1。情報の優位性は受け手にある。本人がいくらゴミと罵ろうが、受け手がそれを必要と思っていれば、それは必要なのだ。まあ、単なるゴミというのも、「そんなに過剰に持ち上げんなよ」というちょっとした注意みたいなものだろうし。

そういえばかつてNirvanaがヤングギターで奏法特集されてた時はえらい賛否両論だったようで、あーヤングギターっていうのは数年前にJeff Beckが10年ぶりのアルバムである「who else」に伴う日本ツアーが決定した際に、「Player」も「GUITAR MAGAZINE」も表紙はJeff Beckでバシッと決めていた中で唯一インギーを表紙に飾るというなんとも方向性がはっきりした雑誌でってそれは「BURRN」だっけかあーそうか……。

*1:そういえばRobert (Anthony) Plantも自分が作詞したものに対して、カートと同様なことを言っていた。