死と悦楽と悪

文学と悪 (ちくま学芸文庫)

文学と悪 (ちくま学芸文庫)

それは悪魔のように黒く 地獄のように熱く 天使のように純で まるで恋のように甘い
シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール

やっぱりミルとケトラを購入して正解だった。コーヒー豆の香りは挽いてから3・4時間で失われてしまうといわれているように、手挽きのミルで炒りたての芳香は、力強く、香ばしい。この匂いだけでエンドルフィンが分泌される。
そして炒りたてのコーヒー粉をフィルターに移し、盛んに湯煙を立ち上らせる液体をまずは軽く落とす。10秒、20秒、…30秒。適度に蒸らされたそれに、今度は本格的に湯を注ぐ。完成。
限りなく黒に近い茶色(お茶じゃないのに茶色とはこれいかに)。一口飲んでみればわかるその苦味。だが苦いからこそ表現できるその濃厚な中に潜む旨味。そして驚くほどに後を引く香ばしい残味感。がぶ飲みなんてもってのほか。一口ずつ、一口ずつ、その豊潤なそれを味わうことが、悦楽となる。
だが、そうは言っても毎日何杯も飲んでいるわけではない。1日に多くとも2杯くらい。飲みすぎると、カフェインの反作用で気だるくなってしまうのもあるし、なにより、食生活の中でメインを張らない、副次的なものであるから楽しめるという部分もある。そう、あくまで主体となる食(飲料も含め)があるからこそ、そこにはない良さが引き立つのだ。これを食生活の中心に据えたら、確実に死ねると思う。*1

「なにものも、さまざまな反対物を媒介とするのでなければ、進歩することはない。引力と斥力と、理性と精力(エネルギー)と、愛と憎とは、人間に不可欠なものである。
「これらの反対物から、諸宗教のいわゆる善と悪とが生まれる。善とは、理性に属されられた受動的なものであり、悪とは精力(エネルギー)から生まれる能動的なものである。
「善は天国であり、悪は地獄である。……*2

「精力(エネルギー)は、永遠のよろこびである。」*3

よくメインカルチャーサブカルチャーという言葉が使われる(今ではもう死語?)。サブカルチャーカウンターカルチャーとも呼ばれ、何に対してのカウンターかといえば、それはメインカルチャーに対してのことである。では、メインカルチャーは何かを守るものなのか。メインカルチャーに分類される文学、ここではその文学というものは、守るものとは規定されていない。むしろ反抗する行為、つまりはカウンター的なものだとされている。だが、何に?それは、生きるということに。

つまり社会は、自分の持続を可能なものにしようと按配するのだ。
(…中略…)
ただ文学だけが、 想像すべき秩序などいっさい無視して(原文傍点部)、掟への背反(…中略…)のたわむれを、あらわにしてみせることができたのである。すなわち、文学には、集団的な必然性を構成するといった仕事など、ひきうけることはできないのだ。
(…中略…)
つまり文学とは、道徳律への背反として、ひとつの危険でさえあるのだ。

教養を深めるために文学作品を、なーんて言っていたのはどこの誰だか。この場合の教養とは端的に言えば、自分を深みのある人間だと他人に思わせて、他人から見た自らの(社会的な)価値を増大させようとする行為だ。それは未来の自分の価値の向上という、明日をよりよくさせようとする、建設的な、社会的な行為だ。
しかし、文学が持つ本来の力(もしくは目的)はそんなものではない、とバタイユは言う。すなわち、文学とは明日をも顧みない、今この瞬間の悦楽を発生させるものであり、それは明日のために今日を犠牲にする一般的な「生」とは相反し、社会的価値観を破壊し、それゆえ「死」へと向かう必然性を持つものだと。
「生」へと向かう力を善と呼ぶならば、「死」へと向かう力は悪だ。そう、文学とはすなわち「悪」なのである。

強烈さは、 価値(原文傍点部)として定義することができる(しかもこれこそ唯一の積極的な価値なのだ)。一方、持続は、善(原文傍点部)として定義することができる(これが徳の目ざす一般的な目的なのだ)。
(…中略…)
ところで、 善(原文傍点部)への欲望は、 価値(原文傍点部)を求めるわたしたちの動きに制約を加えるが、それとは反対に、悪へと向かう自由は、 価値(原文傍点部)の過剰の諸形態へと道をきりひらいていくのである。

だが、この悪が善をひっくり返すことは、ない。光があるから影ができるように、あくまで人間が本来善を目指すようにできているから(それは生きるということが「生物」の第一義であることと同じように)、その反作用として悪に憧れるのである。反作用としての魅惑。それが文学の持つ力であり、使命なのだ。

その意味ではたしかに現実に存在する詩は、つねに詩の反対物であるのだが、それというのも、滅ぶべきものを対象としていながら、詩は、それを永遠のものに変貌させようとするからなのである。

*1:冒頭はむしろ煙草のことを書いたほうがより主題にちかいのだけれど、kiaoは煙草を吸わないので。

*2:本文中にあるウィリアム・ブレイクの引用

*3:本文中にあるウィリアム・ブレイクの引用