GHOSTと演算回路

順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

順列都市〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ポールにアイデンティティを感じさせているのは、なんだろう?
それは連続性であり、整合性だ。思考が一貫したパターンで継続すること。
では、その一貫性はなにに由来するのか?
人間の場合、(…中略…)ある瞬間の精神状態が、それにつづく精神状態に直接影響することだ。(…中略…)プログラムがポールの人生をDBCEAの順でたどっていても、ポールはやはりABCDEの順だと 感じる(原文傍点部)……だとすれば、パターンこそがすべてなのであって、因果関係に出番はないのだ。
(…中略…)不合理さでは、部屋いっぱいの猿は、かならずシェイクスピアの全作品を じっさい(原文傍点部)にタイプする――猿たちは、たまたま少しだけシェイクスピアと違う順番で文字を打っているだけだ(…中略…)単に時空間の座標を、潜在している作品があらわれるかたちに再定義すれば、それでいい、(原文傍点部)という意味だ。

人の意識。人の精神。人の生きるという状態を作り出すのは、人の脳という演算回路が絶え間ない計算をし続けていることと言い換えることができるのかもしれない。人の意識ははたして完璧に再現(コピー)できるのか。だがここではそのレベルでの話は行われない。
人の意識が完璧に再現(コピー)できるのなら、人は永遠に生きることができるのか、永遠に生きることを選ぶのか。そもそもその場合、オリジナルとコピーにどんな違いがあるというのか。
テーマがはっきりしているので、細かい難しい部分をすっ飛ばしても(笑)、面白さが伝わってくる。ただ、後半になってテーマがくるっと変わる(いや、そもそもそんなテーマなんて掲げていないのかもしれないが)。後半のあの展開は、短編集『ひとりっ子』収録「ルミナス」と相通じるものがある。真実は絶対的に固定されたものではなく、それは解釈(系・システム)が生み出した結果に過ぎない、ということ。
自分がコピーであると気づいた瞬間、自分がオリジナルだと気づいた瞬間、それらの衝撃はまさに小説だから味わえる醍醐味。小説が人物の内部からの視点を容易に得ることができるからこそ、完全に意識が再現できたコピーというものを(作中の人物の視点を経て)私たちが追体験できる。
この世界でコピーの自分を走らせることを決意した人々も、元々は私たちと同じ「この世界で限定的に生きることを定めれらて産まれた」ものたちだ。それは「もし時間を超越して生きることができたのなら」というIFを代わりに背負って生きる私たちの代走者。ここまでがギリギリ私たちと結びつくことができる仮定。ここには出てこなかったが、もし生まれた時から仮想空間で永遠にいきることを運命づけられた(生に時間の限りがあるという概念を持たない)存在が登場したとしたら、それは完全なる別生物。異者。この小説が持つ緊迫感を与えることはできないだろう。

やはり長編はある程度まとまった時間をもって、ガッと読んでしまうほうがいいと思った。ちびちび読んでていたせいか、割と薄めの本書でさえ、ときどき話の繋がりを見失いかけていたから(この「順列都市」では、3つ(もしくは4つ)の視点からの話が並行して進む)。「万物理論」とか読むとき、大丈夫なのだろうか…。