最近読んだマンガ

ブラッドハーレーの馬車 (Fx COMICS)
制度。それは人の利益のために人の行動に制限を与えるもの。公然と行われるもの、秘密裏に行われるもの、目に見える形にも、目には見えないかたちにもそれは人を拘束する。
ブラッドハーレー聖公女歌劇団。孤児院の少女。刑務所。「パスカの羊」と呼ばれる祭り。「1・14計画案」。
連作短編の形をとる本書は、そんなある制度を主軸とし、それに図らずも翻弄されることになった人々の悲劇を描く。人が造りし、人の血が通っていないそれは、人の運命をも簡単に変えてしまう。
人はドラマを求める。ドラマがあるというと、大抵は何かしら価値があるような肯定的な意味で使用される。はたしてそれは本当なのか?
ここにもドラマが存在する。ただし、人が運命のどん底に突き落とされるドラマだ。彼女らが悲劇の1歩手前まで近づいてしまい、今まさに最後の1歩を踏み出さんとしている場面を、我々は目撃する。彼女らはその先に待ち受けているものの正体を知らない。我々は知っている。だが知っているだけだ。彼女たちを救う方法(すべ)を持たない、単なる傍観者。だのに、だからなのか、そのまさに1歩を歩みださんとしている彼女らからは、あきらかに普通とは違う何かを感じられる。蝋燭が燃え尽きる前に放つあの一瞬の炎と同じことなのか?この物語に現れる一瞬の炎に、何かしらの価値は存在するのだろうか。


魔法少年マジョーリアン 2 (アクションコミックス)
石田敦子なので買う。なんつーか、ジェンダーって奇妙なもんだね、と。
暁色の潜伏魔女 2 (アクションコミックス)
なんでkiaoは袴田めらのマンガを買うのだろうとふと思ったのだが、結局理由がわからなかった。ほんと、なんでなんだ?
うわの空チュートリアル 1 (バンブー・コミックス)
あー小劇団ってマイナーバンドのようなものなんだな〜ってなんとなく思った。いや、なんとなく。
神戸在住(10) <完> (アフタヌーンKC)
kiaoは、物語とは世界の切り取り方、だと思っている。
この「神戸在住」は、日常という世界をこんなにも繊細に切り取ることができるのかと、読んでいていつも思っていた。ポートレートを彷彿させる最終話は、大切な仲間たちと過ごした日々をいつまでも心に残しておくための、思い出の切り取り作業のように思えた。