少女 BETWEEN 日常 AND 非日常

少女には向かない職業 (創元推理文庫)

少女には向かない職業 (創元推理文庫)

あたしはまた、弱い人間の顔をしていた。自分でわかった。泣きながら、しゃくりあげながら、あたしは唱え続けた。となりで静香も声を立てずに泣き出した。あたしたちは一緒に、しくしく泣きながら、倒れている大人に、死ね、死ね、と言い続けた。
――胸によみがえってくるのは、楽しかった頃の記憶だった。
(…中略…)
いい頃もあった。
怪物になったのは、いつなんだろう?
あたしたちは幸せをいつ失ったんだっけ?

まだこの世に13年しか存在していない彼女の日常(せかい)は、ひどく窮屈で狭いものだった。
限定された生活圏。与えられているのは、学校と、家と、島の向こう側にあるちょっとした遊び場だけだ。選択をしようにも、もとから与えられている選択自体が限られているのでは、代えようがない。
だから彼女の世界は、それらのうちたった一つでも壊れてしまえば、バランスを失ったジェンガのように脆くも崩れ堕ちてしまう。しかしそれは箱の中に入れられたジェンガだ。外側からはだれも彼女の世界(ジェンガ)は見えない。
少女は平気な顔をする。気丈に。自分の持つジェンガが支えを失ってしまったことを誰にも気づかれないように。

中学二年生の一年間で、あたし、大西葵(おおにしあおい)十三歳は、人をふたり殺した。

そんな文章で始まる本書は、このあとのすべての項を使ってある戦いに身を投じる彼女の姿を描く。それは、崩れた日常を必至で支え続ける彼女の戦いだった。失ったピースの代わりに必至で指で押さえて、今にも崩壊する日常を、まだ壊れていないと持ちこたえ続けさせるための……。

あたしは東京のドラゴンをつい羨望の目で見てしまう。このモニターに入っていって、向こう側から出たら、例えば東京の渋谷とか新宿とかの、かっこいい大きなゲーセンにでるのかな。おしゃれな大学生とかがいて、すごいかっこいいお店もいっぱい。こんな田舎の、島の中学生とは生活がなにもかもちがうのかな……。

少女は弱い。まだ自分自身のみで生きてゆく力を持たないから、誰かの庇護下にいなければならない。だが、そこで得られる選択の余地は少ない。むしろ、その誰の庇護を受けるかという選択すら、生まれた時からほぼ確定されてしまっているのだから。
生きたい。愛されたい。意思を貫きたい。
誰かに生殺与奪を握られている者は、己の意志ですら自由にならないというのか。意思の自由。自由意思。
<子どもはだまって大人の言うことをきいていればいいんだ>
古より脈々と受け継がれている、意思を断絶させる武器(ことば)。その力。

海の男は強くてたくましいけど、不景気とか怪我とかうつ病とかで働けなくなると、急にくずになる。島のうちにはところどころ、そういう怪物を飼っているところがある。
女たちのほうが、弱いけど、しぶとい。意地でも働く。体力も技術もなくても、むりやり物産センターとかで働き続ける。
だから、怪物の存在を許す。でもこんなやつ、こんなやつ、こんなやつ。

ここにある彼女の日常は、すでに起きてしまった非日常を必至で否定するための戦いだ。この世に存在してから、まだ十数年しかたっていない彼女(の世界)を、無慈悲にもある出来事がその支えを奪い去ってしまった。それはたしかに彼女が望んだことでもあった。だが叶わないとも思っていた。叶わないからこそ願っていたのだ。
非日常は日常の終わり。だが人は非日常を生き続けることはできない。続くことのできない状態だからこそを「非」と名づけられているのだから。この本が終わった後の彼女にも、たしかに新しい日常が待ち受けていることを、kiaoは願ってやまない。