志村貴子の描く『ネコ目』がものすごく好きです*1

青い花 3巻 (Fx COMICS)

青い花 3巻 (Fx COMICS)

「この感情は百合だ。」
と、私の中で思うものを探す旅(脳内)に時間をものすごく使ってしまったのが原因です。*1

といったのはタカハシマコなんだけど、その感情を探す旅真っ最中なのは志村貴子も一緒なのではないだろうか。

あたしには支えが必要なのに みんなにはステップアップのひとつにしか過ぎないから
そういうのってしんどいのよ 正直*2

志村貴子は短編集「どうにかなる日々2」で2つの女性同性愛者の話を描いている。
一つ目は、昔付き合っていた恋人(女)が結婚する式場で、自分と同じように、かつてその恋人と付き合っていた女性と出会う話。もう一つは、友達と同棲しているがその子を好きなことは隠していて、なのに彼女の恋人(男)に好かれてしまった女性の話。
2つの話の主人公に共通しているのは、自分の好きだった人が、互いに付き合っていたころをまるで一種の青春の熱病でしかなかったとでも言うようにどこか遠くへ行ってしまい、結局は普通に男のものになっていってしまった彼女らに対する傷心を抱えていることだ。
『百合』をwikipediaで調べると<女性、主に思春期の少女同士の恋愛感情、または強い友愛関係を示す概念である。>とある。
あのころはいい思い出だから、と心の隅にしまうほうにとっては単なるセピア色の出来事。だが、しまわれたほうにとってみれば、あんたの一過性の思い出のダシにすんなよ、とやりきれなさが胸に残る。
だから、志村貴子はこの百合の話を、単なる青春の良き思い出の話には終わらせない。男の人はきちんと登場するし、男の人を好きな女子も登場する。だからこそ、決して空気だけの、何となくの『女子同士の好き』ではない、すべてを置いてでもあなたが好きだという『女子同士の好き』を描こうとしている(つもりだと思う)。

『百合漫画』を描こうっていう感じかな。百合っぽい関係を匂わせるとかじゃなくて、女の子同士の恋愛を描きますっていう宣言というか、読者の方に妄想で補完してもらうんじゃなく、もうこの子達はお互いのことが好きなんだっていうことをハッキリさせるようにしたいなぁ、と。


とらのあな webだよ。「NO COMIC NO LIFE」


なかなか恋がうまいことままならない万城目ふみと、百合的な感情はおろか恋愛感情すら朧げにあるかどうかの奥平あきら。
この物語の終わりは、ふみがあーちゃんに気持ちを伝えて、あーちゃんが自分の感情に問いかけて悩んで、で悩んだ末に、この『好き』が友達としての『好き』なのか恋人としての『好き』なのか今はよくわかんないし、この先もどーなるかわかんないけど、でもちょっとずつあたしもふみちゃんのこと『好き』になろうと思う…、てな感じで幕を閉じるのかなと思っていたけれど。でもここで注目すべきは巻末収録の短編「若草物語 織江さんと日向さん」。この短編が、実は後々、非常に重要な意味をもってくるのではないかと、一人勝手に思ってしまった今日この頃。

人生はままならないことも多いわね
でも こういうこともあるのよ*3

*1:タカハシマコ「乙女ケーキ」収録 「あとがきまんが」より

*2:志村貴子「どうにかなる日々2」収録 scene*9 より

*3:志村貴子青い花」収録 「若草物語 織江さんと日向さん」より