舞城小説粉吹雪について

もう終わってから一か月以上たったし、ネタがわれてもいいでしょう。感想をば。
行ってきました、東京都写真美術館。そう、あれはちょうど関東に雪が降ったある日曜日。JR恵比寿駅から出て動く歩道に乗って数分。見えてきたのは、灰色の空にそびえ立つ(というのは誇張で、実際は三階建ての)建物。
舞城王太郎が参加している「文学の触覚」コーナーはB1Fのこと。一階の受け付けカウンターにて料金を払う。
kiaoの前には外国の方々がいたので、「そうか、写真館だし、他のフロアの催し物を見に来ているのかな?」と思ったら、彼らが向かった先もB1F。あれー。これはとんだ先入観だった(ちなみに、話している言葉は英語以外も交じっていた。見た目北欧圏ぽかったけど、あんま当てにならないと思う)。
B1Fで最初に出迎えたのは、この「文学の触覚」を催すにいたったなんか講談社の人やら東京都写真美術館の人やらあと誰かのお言葉。内容は、グーテンベルク活版印刷から今やメディアは多彩な形を採るようになって、紙文化の代表ともいえる「文学」は、その形を変えながらも消えることはないだろう云々…。要は、この「文学の触覚」が目指すものは、様々なハード(デバイス)とソフト(文学)とのコラボレーションというわけだ。で、ニンテンドーDSの読む文学のやつも置いてあった。
いくつか舞城以外の作家の作品もあったけれど、ここでは割愛。結論から言うと、ここに展示してあった作品たちはあくまで作品であって、それだけで完結したもの(アート)でしかないということ。いろいろなアーティストたちが「文学」というお題をもらって、遊んでみただけ。
もちろん、遊ぶことはとても良いことだと思う。だが、それがニンテンドーDSのやつのように、実用性を伴った、文学の新しい形を匂わすかというと*1、それはない。なんでかというと、一言でいえば「それでどーやって本一冊分の内容を読めというの?」となってしまうからだ*2
まーそんなこんなで「舞城小説粉吹雪」。作品は2つ。
一つは、大きな黒幕に文章が縦書きに流れて、一定量の文が表示されると舞城が描いた挿絵が最後に映し出され、すると吹雪く風の音とともに表示されていた文字が宙へ舞い散ってゆく。簡単に言うと「どこでもサウンドノベル*3」といった感じか。
もう一つの作品は、少し妙なものだった。大きな白いスクリーンには、同じく舞城の作品が表示されている。いや、打ち出されてくるといったほうが正しいか。そして、そのスクリーンの前には一つのキーボード。誰も触っていないそれが、勝手にカタカタとタイプ音を響かせている。見ると、そのタイプの動きとともにスクリーン上にも文字が撃ち*4込まれてゆく。スクリーンの右下には2008/01/XX AM03:22:XX という時刻が表示され、動いている。
そう、これは舞城王太郎がタイプした情報を記録し、それをそのまま再生する機械だったのだ*5
スクリーンに表示される文字は大きさが異なっている。どうやらそれは、前の文章が打ち込まれてから、次にその文章が撃ち込まれるまでにかかった時間に比例して大きくなるようだ。だから文字の大きさを見れば、その文章を打ち込むのに逡巡した時間(思考の形跡の断片)が垣間見えるということらしい。
小説はいくつかの章ごとに分かれていて、それを目の前にあるマックの画面から(マックさわったことなかったから、クリックボタンがないマウスに少し戸惑った)、見たい章を選択できるようになっているらしい。kiaoも他の章を見てみたかったのだが、前にいる女がずーーっと座ってて(マックの前にはソファがある)、なかなか離れなくて、このやろーいいかげんにしろよー……ってあれ、話がずれた。いかんいかん。
マックの画面を覗き込むと、つい昨日の午前中に書かれていた文章もある。つまりは、できたてほやほやの物語の断片がここにはあるわけだ*6
一言で言うと、メイキングシーンを見る楽しみ、といったところか。
そう、あくまでメイキングを楽しむものである。時間(絶対時間ではなく所要時間)とOUTPUTを共有することにより、擬似的に舞城の思考をトレースしようというもの。かなりおもしろい。ただ、これで作品をまるまる楽しもうとすると、何日かかることになるのやら…。
でもまあ、この「TypeTrace」を使っていることを舞城も意識しているので、ある章の始まりに『ディスコ探偵水曜日、遅れててゴメンナサイ』と打ち込んですぐ後にそれをダーーっと消して、またこの作品執筆に戻るみたいなシャレを入れているのにはウケた。

「文学の触覚」開催期間にリアルタイムで更新されてゆく作品だったので、物語を最後まで読みたかったら最終日あたりにまた行かなくちゃならないということだ。行こうかなとも思ったけど、それだけあの場所を占有しなくちゃいけないことになるし、なによりめんどくさかったのでやめた(ファンではあるがマニアではないので、そこまでの労力をかけるつもりはない。機会がなくて見れないものがあるなら、それはそれでしかたないと思う人なので)。

お土産コーナーで、群像に掲載されていたこの「文学の触覚」だけを抜き出した小冊子が売られていた。…が、それだけで1000円ってあきらかにボッタクリだろー。群像より高いってどーいうこと?(紙質は小冊子のほうがいいけれど)…買ったけど(←アホです)

併設されていたカフェが、(天候も影響していたのだろうか)人が少なくて落ち着いた雰囲気があり寛げた。ここは好感触。

文学の触覚
「TypeTrace」を開発しているDividual(ディヴィデュアル)のHP

*1:ニンテンドーDSのやつだって、考え自体はみんな誰だって思いつくものだけど

*2:これも考え方の違いで、あくまで芸術展として見ればいいのかもしれない。ただ「文学」の未来と考えた場合、そこに新しい価値(作品としての価値と共に実用としての価値)が与えられなければ、単なるめずらしいものでしかない、と思うのだが…。

*3:某狸似青猫ロボット風に

*4:誤変換だけど、おもしろいのであえてそのまま

*5:といっても、その機械についてはあらかじめ「タイプトレース道〜舞城王太郎之巻」としてパンフレット等に説明されてあったのだが。前情報をほとんど入れないで見に行っていたもんで。

*6:もちろん、小説は料理とは違うし、編集者の目が入っていないゆえの作品の質の問題も考えられるわけだが、ここはあくまで比喩として使っている