自意識は、少し足りないくらいがちょうどいいと言っておったよ

もーひどいなぁ。鬱っ気が重い〜。考えてみると、毎年この時期にこんな感じになっているような。なんなんだ、こりゃ。理由はなんとなくわかっている気がするんだけど、やっぱりわからんかもしれない。5月病?てか、5月病ってもの自体もよくわかんないんだけど。
何もする気が起きない。惰眠。起きる。リズムが崩れる。時間の浪費。負のスパイラルすぎる!!こんなこともあるさ、と割り切るしかないのかもしれないけれど、それにしても厄介…。

一つには脳は、「単体では存在し得ないもの」であるということ。体があって初めて脳が存在するのです。(…中略…)環境を管理したり、環境に働きかけたりするのは、すべて体です。(…中略…)
つまり、脳にととっては「体」こそが環境であって、それ以上でも以下でもありません。私たちは、ともすると脳の価値を、体よりも上位に置きがちですが、脳がなくても十分に生きていける原始生物を見ればわかります。体あっての脳なのです。
池谷裕二「脳はなにかと言い訳する」より

本当は、こういうときはスポーツとかをするのが一番いいはずなんだけど。でも、普段からの準備がないと、思い立ったらすぐってわけにはいかないものなんだよなー。ひごろ体様をおなざりにすると、こういう局面に非常に弱い。だめだめじゃん。脆弱だなー。

というわけで、なんとか外部刺激を受けようと、むりやり出かける。なんとなく池袋。

そうだ、ついでに『アンダーザローズ』を買い揃えておこうと、某書店に行った。あった。…いや、あったんだけど、2巻と4巻がごっそりないってどーいうことだよ!?1・3・5巻は普通に数冊あるんだよ!どんな買占め?限定ジャンケンでもあったか!?

ということで、その場で衝動買いしたのは、中村明日美子伊藤剛と見本を立ち読みして気になったカトウハルアキ

近くの某ファーストフード店で、セットメニューを注文して読む(そういえば、すっかりコーヒーがホットでなくアイスを飲みたくなる季節になった)。

あれ、このハンバーガー、大プッシュしているわりには、それほどでもないな…。まぁ、こんなものか。と注文した品を食べつつ、カトウハルアキヒャッコ』を読む。

ああ、こーゆーときに読むには、こーゆーマンガがいいなぁ。マンガをそれ以上でも以下でもなく読む感じ。

「インフレ」っていう言葉がある。マンガで「インフレ」って言葉が使われると、ドラゴンボールに代表されるような格闘マンガで、次から次へと強い敵が現れる展開のことなんだけど、ここにもあったよ、「インフレ」。

ていっても、これは格闘マンガじゃないんで、意味はちょっと違うけど。じゃーなにかっつーと、「キャラ」の「インフレ」。途中から1話に1人くらいの割合で増えてくし。「まーキャラマンガですから」と言われてしまえば、それまでなのかもしれないけど。

もー世の中みんな「キャラ」だからね。お笑い芸人でさえ「キャラ」。内在した性質の「キャラクター」ではなく、みんなの(無)意識化に外在化した性質の「キャラ」*1。だから、ある程度顔が売れてくると、いつその「キャラ」を脱ごうかと思い悩む芸人さんたち。だって、それってもともと自分のものなんじゃないんだもん。昔はそーいうのって「芸風」って言わなかった?「芸風」はその人から発生してくるものだから、脱ぐ必要がない。でも「キャラ」は自分のもんじゃないから、いつか脱がなくちゃならない。芸人になりたい。でも、自分の中を覗いてみれば、取り立てて際立ったものがないことに気づく。自分に対する絶望。だから借りる。特異な性質を持ったものを。どーせ人なんて自分の内側にあるものなのか外側だけのものなのかなんて、気にしないんだから。

あー、話がそれた。

大きな物語がなくなってデータベース化されたっていったのは、誰だったけか。データベースかどうかは知らないけど、大きな物語が不在な中で*2、それでも物語を作るとしたら、キャラが重要になってくるわけで。

キャラが増えれば、人間関係が複雑になってくる。人間関係の多彩さは、その間でおきるコミュニケーションのダイナミズムを大きくする。ダイナミズムを維持し続けるには、さらにキャラを投入して…。おお、「インフレ」(笑)


あーちょっと出かけたのとぐだぐだ書いたので、少しはマシになったかしら。『夕日ロマンス』のほうでもなんか書けるけど、やめやめ。マンガはマンガとして素直に楽しむのが一番。もっと体を動かさねばー。『地下室の手記』の人みたいになっちまうぜー。


ヒャッコ 1巻 Flex Comix

ヒャッコ 1巻 Flex Comix

ヒャッコ 2 (Flex Comix)

ヒャッコ 2 (Flex Comix)

ヒャッコ 3 (Flex Comix)

ヒャッコ 3 (Flex Comix)

*1:「キャラ」と「キャラクター」の違いは、伊藤剛「テヅカ イズ デッド」のおかげで、自分の中で違いがつけられているつもり。

*2:というか、そもそもギャグマンガに「大きな物語」が必要なのか?という話もあるわけですが…。