犬と少女は数えない

ベルカ、吠えないのか? (文春文庫)

ベルカ、吠えないのか? (文春文庫)

このとき、会話がはじまったのだ。この<死の町>に囚われてから、いま初めて、少女は何者かとコミュニケーションを成立させたのだ。相手は人間ではなかった。イヌだった。しかし一頭のイヌと日本人の少女との間で、言葉は通じた。媒介(メディア)にしたのは猿まねのロシア語だったが、そこには数ミリの言語的な差異しかなかった。
その衝撃は、一分ごとに、十分ごとに、一時間ごとに少女の内側に滲みる。
滲みる。

トラ・トラ・トラ、ではなくてイヌ・イヌ・イヌな小説。
世の中にはイヌ派とネコ派がある……なんて言い出したのは誰なんだろうか。イモリ派があってもいいはずだし、カエル派があっても、リス派があっても、インコ派も、モルモット派も、ワニ派も……。ま、何かと二分派したほうが大ざっぱでわかりやすいし。ビートルズ派とストーンズ派があるように。ツェッペリン派とパープル派があるように。*1
声なきイヌたちの声を代弁する語り手。その熱さ。「なに?しゃべってるじゃん」というかもしれないが、イヌたちの言葉はカタカナで語られる。それはまるでアテレコされた声を聞くみたいに。本当の言葉を聞くことはできない。
じゃあ、イヌたちの気持は伝わらない?いや、そんなことはない。日本人の少女とロシア人のじじいが、言葉を理解できなくとも、互いに気持を交わしたように。

数分間、動かない。
その場で、イヌも少女も、微動だにしない。
それから、ふり返る。
誰かが背後に出現したのに、気づいて。
そこに老人が立っている。
少女はひと言だけ、老人に言う。日本語で言う。「じじい、あたしはいま、ストレルカ、襲名したぞ」
声は震えている。瞳は二つとも、あふれる涙に濡れている。

*1:これらの分け方も、実は個人的には信頼していないのだけれど