社会に常に脳を置いている私たちは、経験の蓄積とそれを元にした予測(およびその更新)を絶え間なく行っているということ

岩波科学ライブラリー 予想脳 Predicting Brains (岩波科学ライブラリー (111))

岩波科学ライブラリー 予想脳 Predicting Brains (岩波科学ライブラリー (111))

なんとなく感じるのは、私たちより少々上の世代だと、未来を宇宙に夢見た年代だという気がすること。
国内からグローバルへ、世界から地球の外へ。生きていくセカイが徐々に大きくなってゆくというのは、ちょっとした快感にも似たものなのだと思う。SFの全盛期って、こういった同時代性を持っていたのだろうか(経験したことのない私たちは、ただ想像するだけだ)。
でも、私たちの世代は、あまり宇宙に夢を見ないと思う。例えば、「天文部」ってちょっとレトロフィーリングだし(でもレトロって逆にノスタルジアスパイス)。
それというのもおそらく、月までトントン拍子だったのが、その先にはなかなか行けないこと、太陽系を越えた星へたどり着くのがおそらく(私たちが生きている間には)無理だろうってこと、なんとなくそんな雰囲気がセカイに認知されてしまったことに理由があるのではないだろうか(科学的な意義は保ち続けているのだろうが、ロマンは大きさをなくしていると思う。子供の夢に「宇宙飛行士」と挙がらなくなったのは、いつからなのか)。
かつて上へ上へと行っていた人の好奇心。今はどこにあるのかといえば、それは人の内に存在する(『ガンダム』が宇宙を戦場にしたことに対し、『エヴァンゲリオン』は人の内面へ深く潜っていった。それらが意味することは?……なんてのは思いつきに過ぎるけど)。脳科学に近年(世間の)注目が集まるのは、少なくともその流れに全くの無関係ではないはずだ。
上にも挙げたからついでに。『エヴァンゲリオン』で初号機が暴走したときに、人々が自分たちが操作していたものについて実は何も分かっていなかったことに愕然としたように、私たちは普段自分自身をコントロールしている脳というものについて*1、分からないことが多すぎる。
そうしたら、やはりちょっとは知ってみたくなるというのが人の性(さが)ではないだろうか。

予想脳は我々が進化と発達の過程で身につけたシステムである。そのシステムのメリットは、自分をとりまく外界の環境の要素のうち必要なものだけを選択し、その要素と自分との関わりを予想し、その予想をもとにとるべき行動を環境に応じてあらかじめ選択することで効率的に行動できるということにある。

ここには、この半世紀の間に大きな飛躍を見せた各論的な研究に対して、<まったくばらばらな問題設定がされているため、統一された仮説を持つことができない>ために用意した<従来の各論を束ねるための大きな枠組み>として、「予想脳」という概念仮説を導入している。

この概念仮説が単なる一考えに終わるのか、それとも脳科学全体の基盤たりえる思想と相成るのか。科学者でないkiaoには全く検討もつかないことだ。ただ一つ言えるのは、この「予想脳」という考えには「おもしろい」と感じられるものがたしかにあるということ。「おもしろい」ということは「好奇心」をそそるということ。そして「好奇心」こそが、すべての研究における最も根源的な推進力であるということは、言うまでもないことだろう。

*1:実は脳自身も解剖学的な観点でいろいろと制限を受けているものだけど、ここではそこまで触れない