福島より北に行ったことがありません

聖家族

聖家族

「記憶には必ず、現在(いま)が混じるよ。ほら、どうなってる?」

何でも、豊崎由美は5日で、大森望は2日で読了したとのことだが、まあこちとら書評家でもないし読む速度が読書の価値ではもちろんないので、まだようやく半分を読んだところ。というか、そもそも一日のうちにちょっとずつしか読んでいないので。って、こんな話はどうでもよくて……。
記憶は時間も空間も(所謂時空というやつ)を超越する。
家族。
人が物語の中に家族を見いだすのは、そこにエキゾティックな眺望が感じられる。他者としての「家族」。素材としての「家族」。血(血脈)というものに、なにか不思議なダイナミズムを見たりするのだろう、か。
語る対象において血を意識することはあるが、語られる対象は自分の血のことなんて意識したりはしない。だって自分は自分の意志で生きているのだし。自分が血の流れを絶やさぬために作られたモノ、なんて思いながら誰が生きているというのか。
だけど、自分がもうけた子供に対しては、自分の血を受け継ぐモノ、と捉えたりするのかもしれない。人は自分が生まれる前に存在していたモノについては、それは自分のために用意された世界なのだと思う。自分が生まれた後に存在したモノについては、自分がいる世界が(めぐりめぐって自分が)生みだしたものだと思う。
記憶と記録。
記憶には人の意志が混ざる。記憶は事実とは必ずしもイコールではない。記録は事実(ねつ造されていなければ、ね)。複数人が同じ情報を参照できること。記録は誰かに使われることによって初めて価値を有する。記録が記憶に吸収される。