そうか。「鹿鳴館」はコレラの時代の愛だったのか。

青い花 5巻 (F×COMICS)

青い花 5巻 (F×COMICS)

気のせいでも
思いこみでも刷り込みでもなりゆきでも
わたしは千津ちゃんのことが好きだった

それは
本当なの
(P.136)

 久々の更新。これからの人生に向けて、ちょっといろいろ画策していたので時間がいろいろ取れなかった今日この頃です。本とかほとんど読めてません。う〜む。
 
 まあ、そんなことはいいのです。出ました。新刊。『青い花』。
 
 表紙は松岡3人娘。中表紙は奥平(兄)とモギー。モギー、ごひいきにされてますね。
 
 物語は、万城目ふみの告白から藤ヶ谷演劇祭の本番まで。その後はふみの昔日の転校後のお話を挿入し、そして二度目の夏休みがもうすぐそこに……。
 
 去年の演劇祭は、杉本恭己と各務先生の関係を軸に回っていたのに対し、今年の演劇祭は大野春花と上田良子がふみやあきらと大きく関わるか、と思いきや意外や井汲京子の家族の話が(直接的にではないにしろ)提示されたのでした。
 
 髪をおろしたあーちゃんとか、逆に髪をあげた幼女ふみちゃんとか、高校生千津ちゃんとかがかわいーとか思いましたね。
 
 LikeとLoveの狭間で揺れ動くあきらとふみとの関係。また以前と同じように登下校するようにはなったけれど、<でもお泊まり会はなんとなくなくなってしまった>*1のでした。
 
 千津に好きな人がいるのかを訊かれたふみ。それは友達なのか、つきあっているのか、の問いにふみは<……友達>と答えます。それを訊いた千津は<それじゃつらいね>と相手に気を扱うが、ふみのほうは一瞬その言葉を自分に落とし込むことができなかったかのように、気持ちが止まります。
 
 それはたぶん、ふみがこれまで好きだった人たち。千津。恭己。彼女たちに対して「好き」という気持ちと、あきらに対して「好き」という気持ちの違い。
 
 前者に対しては、憧れが昇華された形の愛されたいという気持ちが。後者に対しては、大切にしたいという想いを内包した好意が。そのような違いがあるのでは。
 
 だから、あきらともっと関係を深めたいとは思っていても、たしかに「自分の好きと相手の好きが違うこと」がつらくないとは言えないとしても、そのために(今の関係というものが)失ってもかまわないものでは既になくなっているのではないでしょうか。
 
 そしてこの後の<あたしよりも好きになれそう?>という千津のセリフは、少し残酷ですね。自分がふみと過去に関係をもったことで、ふみを「そっち側」の人に(この認識自体もそうとうですが)させてしまったという、ちょっとした罪悪感。ふみが誰かを自分より好きになってくれれば、自分への想いが軽くなると同時に自分自身が罪の意識という楔からも軽くなれる、そんな思いが見えてしまったり。
 
 
 そういえば、読んでいて(観ていて)ふと「あれ、なんか途中から線が変わっている?」と思ったら(具体的に言うと「#27 鹿鳴館<6>」から)、巻末の青木光恵によるおまけまんがにて、理由判明しました。と言っていたから、たぶんそのせいですね。


 こっちがGペンで、

 
 でこっちがもういっぽうのほう?


 ほ、本物を見ないとわかりづらいですね、違いが……。何を使用しているかは、本書をぜひ。といったところでしょうか。
 
 あー、そういえば「タカコ」指定。見覚えのあるものがありますよ。
 
 
 
 
 
 
 これとか。

 

*1:P.149