父親に焦点をあててみた『かわいい悪魔』論

志村貴子作品集 かわいい悪魔 (Fx COMICS)

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 あんなふうにパパの前でちゃんと泣けばいいんだわ
 パパは厳しさのコントロールを間違えてるだけ
 あんたは実力を発揮するコツをつかめてないだけ
(P.P.33-34)

 
 人が物事を記憶するのには2つの役目があります。
 
 1つ目は未来を予測し、身に降りかかる事態に対処することです。
 生きていく上で常に「これから何が起こるのか全く分からない」というのは、哲学的には真理なのかもしれませんが、行動原理に関する限りそれでは困ります。なぜなら、未知の出来事に対して反応するのは多大なエネルギー(言い換えればストレス)を発生させるからです。
 
 しかし、エネルギーは有限です。常に活動をしていく以上、人(ひいては生命一般において)は効率的に動くため、使用するエネルギーを最小限に留めようとする機能があります(マラソンを全速力で走破できないことを考えれば、容易に想像できることです)。そのため、現状から未来に起こる出来事を予測し(意識的・無意識的を含め)、予測された出来事に対してあらかじめ準備をすることで、使用するエネルギーを抑えることができます。
 
 そしてもう1つの役割は、同じ過ちを繰り返さないことです。
 
 人は社会的な生き物です。何かに対して不利益を被った場合、同じ不利益を他者に与えないようにしようと考えるのが当然です。もし将来自分が逆の立場になった場合、その今の自分と同じ状況におかれた他者に対し、不利益を与えないようにしよう。彼はそれを忘れないようにと誓うことでしょう。
 
 しかしエネルギーが有限であるのと同様に、記憶にもまた限界があります。そうした場合選択すべきは、今の自分には必要なものはとっておき、必要のないものは捨ててしまうことです。
 
 人は変化し続ける生き物です。それは多分にして、肉体的によりも精神的に。そして精神を変化させるのは彼を取り巻く社会であり、それは彼に子供から大人へ変わることを望みます。彼は新しい役目を全うするために、エネルギーも記憶も大人であることに費やさなくてはなりません。そのため、子供であった彼は徐々に消えてゆくことにならざるを得ないのです。
 
 学生の頃、受験に失敗し父親に厳しく叱責されたひろみつ(澤田めぐむの父)。その彼を助けてあげたいと思ったみゆき(澤田めぐむの母)。しかし彼らは大人となり、「父」「母」という役目を負うにつれ、子供のころの「ひろみつ」と「みゆき」を徐々に忘れていってしまったのです。
 
 ……本当にそうなのでしょうか? もしかしたらひろみつは、完璧を求めた父親の期待に応えられなかった自分をずっと責め続けていたのかもしれません。父親がぼくを愛してくれないのは、ぼくが失敗をするような人間だからだ、と。
 
 だから息子のめぐむには、失敗をしない人間に、愛が不足しない人間に育てようとして、厳しく接してしまったのではないでしょうか。しかしそれが、皮肉にも自分を苦しめた父親と同じ行為へ走らせてしまったのです。
 
 息子の為に行っていた厳飭な姿勢。それがめぐむを苦しめていたということを知るのは、彼が流した涙によってでした(それは魔女ののぞみの魔法によって。しかし、感情そのものはめぐむ自身のもので)。
 
 その後の、父の息子への歩み寄り(めぐむの遊園地行きの同伴を買って出る)。そこにはのぞみの魔法はかかっていません。切っ掛けは魔法でも、関係を修復し再構築するのは彼ら自身の行動に寄るのです。また、寄らなければならないのです。