人間の持つ機能を外部化すること、その果てを記録したスクリプト

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 人間の欲望を制御する。
 人間の意志を制御する。
 人間のばらばらな欠片でできた魂をかき集めて、パズルを作るようにくっつける。そうすればいつか完璧な人間ができるだろう。
 ミァハのような人間でない。わたしのような人間でない。
(P.171)

 
 いわゆる「ディストピア小説」と言った場合に想起されるのは、人々は政府に全て管理される代わりに安寧な生活を保障される未来、というものですよね。
 
 こういった考え方の元となっているのは、それこそかつては存在した自由主義に対する共産主義への脅威、というものが根源にあったと考えます。だから主人公は、自らの意志を放棄して飼い慣らされた暮らしを受け入れる世界に対して抵抗をするわけです。昔のSFもので地球を侵略に来る宇宙人は、正しく共産主義のメタファーであったことをどこかで聞いたことがありましたが、それを応用するとディストピア小説もそれに当てはめられるのかな、と思ったわけでして。
 
 ではさて、ソ連崩壊もいつだったか思い出せないほどかつてのイデオロギー対立というものが無くなってしまった昨今、自由主義の一人勝ち状態で人々は幸せを謳歌しているかというと……これがなかなかそうも言えない現状ですよ。
 
 例えば『ハーモニー』では、大人になるとWatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムが個々人に導入され、分子レベル単位で常に監視された肉体は、何か異常が発生した場合に即そのための治療が行われ、社会のリソースとしての個人〃の健康が維持されてゆく、といった具合です。
 
 これを主人公は*1管理社会の焦臭さとして受け取っていたのですが、『ルポ 貧困大国アメリカ』の《第3章 一度の病気で貧困層に転落する人々》から見える自由主義の極地としての医療制度と対比してみると、管理されるくらいで絶え間ない健康が得られるのなら、むしろ積極的にWatchMeを導入したい気持ちになってしまうのはkiaoだけでしょうか。
 
 ディストピア小説も真っ青なくらい、先の見えない未来に向かって突き進むこの現実の世界。と言ったところで、かつて歴史上で「人々が真に何も不安な状態がない暮らしをしていた時代」なんてものは存在しないことは分かっているのですが。例え希望的観測であったとしても、「世界は良い方向に進んでいっている」と思いたいですよね……。
 
 それはそれとして、「etml」の発想はすごいですね。考えてみればそれは小説が元来持つ機能ではあるのですが、それを一種の「コード」として扱うことによって、それを読者である私たちに再認識させたわけでして。

*1:正確に言えば親友から継いだ意志として