取り戻せないものと時流の力

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

その日の午後でさえ、ディズィが彼の夢を破った瞬間がいくらもあったにちがいない――彼女所自身の落ち度からではなく、彼の描く幻想があまりに大きな力をもって飛翔するからだ。彼女の及ばぬ所まで、何ものも及ばぬ所までそれは天翔けてしまったのだ。彼は創造的情熱を傾けて自己の幻影に没入し、しじゅうその幻影を増大せしめながら、思うままのあざやかな羽毛でもってすっかりそれを飾り立ててしまったのだ。どれほど熱烈な情熱をもってしても、はたまたいかほど清純な純情をもってしても、男が胸の中に育む幻を完全にみたすことはできないのだ。

第一印象は、とても文章がきれいだな、ということ。
本文中にも解説にもあるように、<この話は、結局、西部の話だった>というのは、その時代・その国ならではのまとめかただな…と思った。違う時代・異国人であるkiaoにとって普通には持ち合わせていないものなので、得難いものを得た感じ。
でも、これをギャツビーだけをとってみると、ある普遍的なテーマを取り出すことができる。それは「人生において取り戻せると思えたものも、時流という強い力の前では幻と消えてしまうことがある」ということ。
人生の中であったことを帳消しにすることはできない。あの頃の続きを…と思ってみても、あの頃と今の間には連綿とした時間の流れが存在し、その間に人々は現実に生きていて、生きてきた証を刻み続けるその非可逆性。